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2017年5月22日 (月)

ザクセン官庁語

東中部ドイツ方言の中核だった言葉。十字軍の流れに乗じて、エルベ川の東側にドイツ人が入植を始めた。ドイツ域内の様々な地域の人々が新たに移り住んだために、多様なドイツ方言が混交することとなった。そうした中ザクセンの官庁でさまざまな法令や通達のために整えられていったのがザクセン官庁語だった。先の「ラインフランケン方言」が京言葉ならこちらは江戸言葉かもしれない。

東方殖民によって始めてドイツの仲間入りをした後発地域だったが、やがて力を蓄えてドイツ統一の中核を担うことになる。そしてひとまず決定的なことが起きた。

「宗教改革」だ。ルーターは聖書の独語訳にあたり、まさにこのザクセン方言を用いた。ルーターの聖書は印刷術の発展と呼応してあっという間にドイツ中に広まった。だからこのときルーターが用いた言葉がドイツ標準語の母体となった。東中部という地理的条件は絶妙だった。こと話し言葉に関する限り南部の人間にも北部の人間にも理解できる中間的な性格を具備していたと考えていい。

首都ベルリンは位置的には東低地ドイツ方言の領域にあるが、ベルリン近郊で明らかにベンラート線が北によれている。首都ベルリンは標準語の影響を受けていると解されている一方で、標準語の母体となった東中部ドイツ方言は、今や旧東独の一部で話されていた小方言という位置付けにあり、明らかに勢力を減じている。

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