ブラームスの話した言葉
ハンブルクで話されているドイツ語は「平地ドイツ語」と呼ばれる方言だ。ブラームスが1862年以降進出したウィーンで話されているのは別系統の方言でウィーン方言だ。ウイーンに長く住んだブラームスは、次第にウイーン方言に染まっていったのだろうか。
このことを推測する貴重な証言がある。音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第3巻62ページ。スイスの作家ヨーゼフ・ヴィトマンの章だ。
ヴィトマンはブラームスの子供好きを示すニュアンスで「北部なまりのブラームスと、アレマン方言を話すスイスの子供たちの会話がうまくかみ合わなかった」と証言する。そのことをブラームスがいつも残念がっていたと付け加えられている。これが1874年のこととされているから、ウイーン進出から10年たっても、ブラームスのドイツ語から北部訛りが抜けていなかったことがわかる。
アレマン方言はスイスのドイツ語圏で話されている方言だ。ヴィトマン自身も本来アレマン方言の使い手のハズだが、大人同士は標準語を使いまわすことも出来るから、コミュニケーションには困らなくても、子供はそうも行かないのだと思われる。
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