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2017年6月10日 (土)

ホルシュタイン人

さて1806年神聖ローマ帝国解体時の勢力地図。ハンブルクとリューベックを結ぶ線以北が事実上デンマーク領だった。ブログ「ブラームスの辞書」的には1806年は重要な年だ。ブラームスの父ヨハン・ヤーコプの生まれた年だからだ。つまり神聖ローマ帝国解体の年とはブラームスの父の生年でもあるのだ。

彼はハイデの生まれだ。ハンブルクの北西約75kmにあるハイデは当然ホルシュタイン公国領内だから事実上のデンマーク領ということになる。19歳でハンブルクに出た1825年の段階でさえまだデンマーク領だ。プロイセンが両公国の領有をデンマークと争ったデンマーク戦争をどんな思いで見つめていたのだろう。その年1848年はブラームスが15歳でコンサートデビュウをした年でもある。

ブラームスの父はどんな言葉を操ったのだろう。低地ドイツ方言だとされているが、これはハンブルクの言葉である。彼の故郷ではホルシュタイン方言が話されていたハズだが、想像以上にデンマーク語がも通じたのではあるまいか。この地方のドイツ方言は、デンマーク語との共通部分も多い。デンマーク訛りのホルシュタイン方言を操り、公式な場では低地ドイツ方言も話せたと思われる。

ハンブルクに出てすぐ、公的な職業に就いたことから見て、言語コミュケーションに不安があったとは思えない。

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