ストラスブールの盟約
均分相続を遺言したカール大帝だが、崩御まで生き残った王子はルートヴィヒ敬虔王だけだった。だから問題は起きなかった。そのルートヴィヒ敬虔王が亡くなったときは王子が3人いた。フランク人の伝統とやらで均分相続が約束されたが、いざという時になって長男ロータルがこれを反古にしそうになった。次男シャルルと三男ルートヴィヒが長男に対抗して手を組んだというのが、本日のお題「ストラスブールの盟約」だ。現在はフランス領ストラスブールで取り交わされたからこの名前がある。
この時の宣誓方法が変わっている。次男シャルルと三男ルートヴィッヒが互いに相手の国の言葉で誓約したというのだ。う~んと簡単に申せば、フランス王シャルルがドイツ語で、ドイツ王ルートヴィヒがフランス語で誓約したということだ。相手の国の兵士たちにわからせるためとも言われているが、それはさておき西暦842年のその段階で、すでにフランスとドイツが別言語になっていたということが重要だ。
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