踏み外し
わがブログ「ブラームスの辞書」のコンセプトは、大好きなブラームスについてひたすら断章を積み重ねることだ。大好きであればこそいくらでも書ける。あわよくばこれによってブラームスの輪郭をよりリアルにクリアに浮かび上がらせたいと願っているのだが、そこは素人の駄文で、ブラームスを浮き彫りにすることには必ずしも成功していない。
浮かび上がるのはむしろ、管理人である私のキャラだ。これは断言できる。仮に私と同様にブラームスが好きな御仁がいたとしても、それがこのようなブログとして析出するとは限るまい。ブラームスを素材としたこうしたブログを構成してしまうのは、ブラームスのキャラではなくて、私のキャラなのだ。私が懸命に考えれば考えるほど、「ブラームスを明らかにする」という目標からはずれて、管理人である私のキャラが明らかになるということだ。たとえば「毎日更新」「2033年のゴール」「カテゴリーの数」「アラビアンナイト計画」などの運営方針は、私のキャラの反映でしかない。
深くて決定的な差。
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