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2017年9月11日 (月)

人は群れたいのか

人は社会的な動物だという。むしろ群れを作らねば生きて行けないと解するべきだ。猿、アリ、ハチ、オットセイなど群れを作る生き物はよく知られているが、人類の比ではあるまい。いわゆる社会的分業が高度に進んだ現在、なおさらその感を強くする。

音楽はどうなのだろう。

まずは音楽の作り手、作曲家について考える。結論はシンプルだ。作品を生み出すのに群れる必要はあるまい。特に大作曲家と呼び得るのは一握りに過ぎず、群れるほど数がいない。後世に名を残すような人たちは、社会生活はともかく創作面では孤独だ。他人には聞こえない音楽が頭の中で鳴るのだから、それも当然である。

さて群れる必要のない作曲家によって生み出された作品を演奏する弾き手(歌い手、振り手を含む)はどうだろう。

群れる必要という意味ではこれが一番だ。厳密には、必要性と名付けていいかどうか微妙だが、群れて弾くと楽しいことは誰にも否定出来まい。一人で弾くことからは得られない喜びが群れて弾くこと、つまり合奏から味わうことが出来る。数人が勝手に同じ場所で個人練習するのは百害あって一利無しだが、これがひとたび全員で気持ちを合わせて一つの作品を仕上げるとなると俄然盛り上がる。いわゆるアンサンブルだ。

最後に演奏の受け手はどうだろう。

群れる必要はない。大きな会場で演奏される場合、結果として聴衆が群れることはあっても、感動するだけなら一人でよい。しかし、この断言には我ながら後ろめたさも残る。音楽をネタにビールを飲みながら味わう盛り上がりを説明出来ないからだ。

原則としては音楽を聴くのは一人で聴けばいい。しかしこれも歯切れが悪い。音楽で感動したら、誰かと分かち合いたいと思うのは自然だ。おいしいものを食べれば子供たちに食べさせてやりたいと思うし、きれいな景色を見れば家族に見せたいと思う。音楽も同じだ。それを称して群れると言うかどうかは少し難しいけれど、音楽を聴くのは一人でいいという断言がしにくいのは確かだ。

また、限られた予算と時間で効率的に良い演奏のCDをコレクションしたいという根強いニーズを満足するためにもしばしば「群れ」が構築される。情報の共有だ。

私のブログ「ブラームスの辞書」は群れて盛り上がる場合のネタ供給という側面が色濃い。人は群れる生き物ということが前提になっていることに他ならない。

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