もしも願いが叶うなら
ある日、夢枕にブラームスが立って「何か一つ音楽の願いを叶えてやろう」と言ってくれたら私は何を所望するだろう。
ブラームスの音楽についての完璧な知識が大きな候補だ。夢からさめぬうちにと急いでこれを言いかけてはたと立ち止まる。完璧な知識を苦も無く獲得してしまったら、その先楽譜を見る楽しみが無くなる。
しからばとばかりに、ブラームス作品についての豊かな感受性を欲するとしても事情は似ている。感受性など他人様から苦も無くいただくものではない。青年期には青年期の感受性があり、壮年期、老年期でもそれぞれ別の感受性があろう。齢を重ねる毎に、同じ作品を聴いて感じるものが代わって行く様は、自らの心のありようを定点観測するようなものだ。
あった。ぴったりの願い事があった。ヴィオラ演奏の際の完璧な音程だ。これはいい。ブラームス作品を演奏する際に限って完璧な音程を出す能力があったら素晴らしい。その代わり、ブラームス以外の作品での演奏能力は今より落ちてしまうという条件でも一向に構わない。(バッハだけは免除してもらいたいものだ)
頭に去来する様々な思いを、キッチリと楽音に転写してみたい。音程はその第一歩だ。
いつの日か夢枕に立ってもらえるよう毎日ブログで信仰告白をしている次第である。
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