ブルックナー
1896年10月11日ブルックナー没。本日は没後121年だ。
1860年代中盤から没するまでほぼウィーンを本拠に生活した。活躍の領域は交響曲に限定されると申して良い。ブラームスと同時代を同じウィーンで過ごした交響曲メーカーである。
にも関わらず、ブラームスの伝記を読む限り登場頻度が多いとは言えない。ブラームスの伝記には同時代の音楽家の話題が頻繁に現れるのにブルックナーは日陰の存在だ。欧州を2分した論争の当事者同士だから伝記上で話題にもなりそうなものだが勝手が違う。
プロテスタントのブラームスに対してブルックナーはカトリックだから教会に行っても会うことはなかったのだろう。プラハ在住のドヴォルザークの方がよほど話題に上っている。ブラームスの友人たちも気を遣ってブルックナーネタをブラームスに振らなかったのかもしれない。
それでもブルックナーの第7交響曲ホ長調のスコアがブラームスの遺品の中から発見されている。話題にはしないが研究は怠らなかったといったところか。
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