ブラームス観
「~観」という言葉群がある。「結婚観」「人生観」「価値観」「男性観」「女性観」「恋愛観」「音楽観」などなど挙げればきりがない。「~に入る単語についての個人の考え」くらいなぬるい定義しか思い浮かばない。
人間の個性とはつまりそれらの「~観」の堆積なのだろうと思う。
ブログ「ブラームスの辞書」は私のブラームス観の反映である。著書「ブラームスの辞書」と補完しあって私の脳味噌に去来するブラームスへの考えを保存することが目的の一つである。「私はブラームスをこう思っています」「私はブラームスをこう感じています」を順次言葉に変換しているというわけだ。私のブラームス観を写す鏡がブログや著書だ。
あくまで主体は私の脳味噌なのだが、最近少し異変も感じている。鏡であるはずのブログが本体に影響を与えていると実感する。ブログ記事を書くこと、あるいは過去の記事を読むことがブラームス観に影響を与えている。著書やブログが無かったら、ブラームスへの考えをここまで深めることは無かったと断言出来る。
著書やブログで言及し尽くしてしまう心配はいらない。書けば書くほど次々と新しい一面が姿を現す。
そういう意味では私のブラームス観はまだ未完成である。
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