サマリーの誘惑
今からもう軽く10年以上も前の話になる。2004年の夏。私は「ブラームスの辞書」の構想を温めていた。「ブラームスの使用した音楽用語の注釈書」というコンセプトだけは揺るぎのないものだったが、まだまだ実現にはほど遠い状態だった。6月19日に始めたブラダス入力の最中だったのだ。先の長さを思うと気が遠くなるという段階だった。
お決まりの予算の問題もあって、しきりに襲いかかるある誘惑と戦っていた。
ブラームスが用いた全音楽用語の列挙をしないで、気になる語句だけを集めたサマリー版でお茶を濁すというものだった。ページ数が少なくなるだけ経費も低く抑えることが出来ることが表向きの理由だったが、本当はブラダス入力の膨大さに辟易としていたというのが正直な話だ。ブラダス入力の後に続く本文執筆に早く取りかかりたくてブラダス入力を終わらせたいというのが偽らざる本音だった。
「気になる語句」を集めるというコンセプトはお手軽な反面、副作用も予見できた。当時の私の知識と興味の分布から見て、記述が器楽寄りに偏るのは明らかだった。器楽寄りに偏った内容では、説得力が半減するのではないかという危惧があった。
結論から申せば私は、この誘惑に勝った。最後までサマリー版に踏み出す決意をさせなかったのは、器楽への偏りを回避したいという思いだった。結果として「ブラームスの辞書」の見出し語は約1170。気に入るも入らぬもなく全て列挙した。個々の項目の記述には当然濃淡があるが、見出しとしての取捨に手心は加えていない。
声楽・歌曲への興味は、執筆の過程でついてきた。お気に入りだけを取り上げていたら、器楽偏重の体質はそのまま保存され続けたことだろう。
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