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2017年12月31日 (日)

祭典前夜

思うだに周到だ。ビオンディさんのリサイタルにかこつけて、カテゴリー「316ヴィヴァルディ」を立ち上げた。今年の9月25日のことだ。その後今日まで同カテゴリーに属する記事は1本もなかったが虎視眈々と機をうかがっていた。

いよいよそのヴェールが明日2018年元日に切って落とされる。1年半をかけて準備した「バロック特集」が始まる。

2018年末までの記事の備蓄はほぼ終えている。今のところ会期は1年では終わらない感じになってきた。過去の企画では366日間にわたった「ドヴォルザーク特集」が会期として最長だった。本数としては268本を数えた「鉄道特集」が最多だった。記事の備蓄状況からみて今回は会期でも本数でもこれを超えることが確定している。えらい気合だ。

ヴィヴァルディは、バッハとともに同企画の主役となる。

今はとても澄み切った感じ。

2017年12月30日 (土)

美しき年の瀬

やはりオケフェスは年末でないと。

新装なった日本青年館での初オケフェスだ。唯一24回すべて出場という次女の母校後輩たちが、参加72校の大トリを務めた。

演目は、熟成を重ねたRコルサコフ「スペイン奇想曲」だ。管楽器はもちろん弦楽器にも厄介なソロがちりばめられている。けれども、ソロの出来不出来はもとより些細なことだ。乙女たちが音楽に込めようとした気持ちの方がずっと尊い。

他校との比較を試みることさえはばかられる圧倒的な演奏なのに、ちっとも威圧的ではない。

終演後の拍手喝采は物足りないほど。すごいものを見たとしか言葉が継げない。

これで正月が来る。

2017年12月29日 (金)

離陸許可

管制塔から離陸の許可を受けたところ。ブログ「ブラームスの辞書」史上最大最長の企画が年明け元日に始まる。今滑走路に向けてソロソロと走っている状態。

立ち上げ前に、このように積極的な宣伝をするには、わけがある。自分を追い込んで逃げ隠れ出来ないようにする狙いがある。着陸までのおよそのルートはほぼ決まっている。

気流の関係で揺れることもあるけれど、安全性には問題がございません。急なオチに備えて読んでいる間はシートベルトをきちんとお締めください。

2017年12月28日 (木)

光陰矢の如し

昨年の12月28日長男とドイツに旅立った。おおみそかは、ニュルンベルクにいた。あっという間の一年だった。この一年、何かとドイツやチェコを思い出してきた。ビールを口にするたびに、「ドイツのビールはおいしかった」と女々しく思い出すこともしばしばだった。

年明けとともに屋外で始まった花火の音さえ今は懐かしい。

あれからもう一年だ。

2017年12月27日 (水)

アイヒェンプラッツ

行きつけのドイツレストランの名前だ。「アイヒェン」は学士会に深く関連する木「ドイツ柏」のこと。プラッツはプラザだからドイツレストランの名前としてはピタリとはまる。

場所は地下鉄の赤坂駅近くだ。知人の紹介で知ってからはまった。ドイツレストランとしては東京最高の店と位置付けている。1年間本当にお世話になった。ブラームスにも教えてあげたい。

料理のクオリティが高い。なんでもおいしい。盛り付けのセンスも上質。

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ドイツ料理だけでなくてパスタもおいしい。シェフの腕がいいということだ。ビールは樽生が常時3~5品。シュパーテンは絶品だ。

まあでも、ママとシェフの人柄が最高と強調しておく。




2017年12月26日 (火)

第九特集総集編

ミニ企画「第九特集」が終わった。8月にティンパニ特集して以来の企画だ。手軽に年末気分が注入出来るのだが、12月一か月もれなく記事を敷き詰めるには本数が足りないのでミニ企画でお茶を濁す次第。

  1. 2017年12月14日 空虚五度
  2. 2017年12月15日 抱き合え百万の人々よ
  3. 2017年12月16日 第九初体験
  4. 2017年12月17日 ベートーヴェンの記憶
  5. 2017年12月18日 Durch と Zur
  6. 2017年12月20日 第九初演
  7. 2017年12月21日 Die Absoluten Musik
  8. 2017年12月23日 シューマンの証言
  9. 2017年12月24日 さすが楽聖
  10. 2017年12月25日 アンカー
  11. 2017年12月26日 本日のこの記事

2017年12月25日 (月)

アンカー

船の錨のこと。あるいはリレーの最終走者もアンカーと呼ばれる。小学校の紅白対抗リレーでは、アンカーが特にたすきをつけて走る場合もある。決着がアンカー勝負にでもなればレースは俄然白熱する。相当カッコいい。

音楽之友社刊行の作曲家◎人と作品シリーズ「ブラームス」の生涯編の最終ページで著者西原稔先生は「ブラームスの死をもってドイツロマン主義が終わった」と断言しておられる。話が大き過ぎて呑み込みきれていない。ドヴォルザークに継承権は無いとしてもブラームスの死後、Rシュトラウスやグスタフ・マーラーの活躍があったし、シェーンベルク、ベルクそしてウェーベルンの台頭もある。そんなことは百も承知でブラームスの死をドイツロマン主義の終焉と位置づけたのだ。

ブラームスの伝記の最終ページであるが故にそう断言したのだろうか。ブラームスははたしてドイツロマン主義のアンカーだったのだろうか。

おそらく第一走者はベートーヴェンなのだと思う。それ以降シューベルト、ウェーバー、シューマン、ワーグナー、メンデルスゾーンなどなど華麗なメンバーが走り抜けた。彼等の奮闘を受け止めて20世紀に繋ぐ役割を、本当にブラームスが担ったという意味なのだろうか。

紅白リレーのアンカーに比べると何だか切ない。紅一点のクララの死まで見届けての華麗なゴールインと呼ぶには少し抵抗もある。

ブログ「ブラームスの辞書」を長く続けるなかから答えが見つかればいいと思う。

2017年12月24日 (日)

さすが楽聖

坂東俘虜収容所のオケの演目が詳しく記録されている。

作曲家別の交響曲演奏頻度ではベートーヴェンが抜きん出ている。ハイドンとシューベルトが少々あるほかは全滅だ。マーラー、チャイコフスキー、ドヴォルザークはもちろんブラームスも全滅。

一方のベートーヴェンは、交響曲なら9番を含む4曲がある。コンチェルトだってピアノ協奏曲第1番とヴァイオリン協奏曲がある。室内楽も少し演奏されている。

ブラームスはハンガリア舞曲第5番があるくらい。

1918年と言えばブラームスが没してからまだ20年しか経過していない。ブラームスを知る人がまだまだ存命中だ。ちゃきちゃきの現代音楽なのだと思う。

坂東や習志野でブラームスの交響曲が日本初演されていたら、20本くらいは記事を稼げたはずだ。

2017年12月23日 (土)

シューマンの証言

以下、シューマンの言葉だ。

イタリアにナポリ、フランスに革命、英国に艦隊があるようにドイツにはベートーヴェンの交響曲がある。

含蓄がある。

ドイツ人にとってのベートーヴェンの位置づけが透けて見える。慣れない日本での生活を強いられた俘虜たちが、心のよりどころとしたのがベートーヴェンの音楽だったこと想像に難くない。

バッハでもブラームスでもなくベートーヴェンであった必然を味わっている。

2017年12月22日 (金)

入浴クライシス

異変は、12月16日土曜日の夜8時ころだった。母が4番目に入浴を終えた後、湯沸かし器が壊れた。スイッチを押してもウンともスンとも言わなくなった。コンロの火はつくからガスそのものの供給はとまっていない。

翌日日曜日に修理を呼んだところ、湯沸かし器の部品が経年劣化で壊れたとわかった。家を建ててから2台目の湯沸かし器で前回の交換は2006年だから、もうかれこれ11年になる。そろそろ代え時かと思っていたら案の定だ。

部品の取り寄せよりは、新品に交換の方が速いというありがちな見立てだ。結構な出費だが、女子たちの入浴が人質のためあっさり交換を決意した。昨日工事が終わった。つまり12月17日から20日まで丸4日家で入浴ができなかった。

さあ大変とばかりに、近所のスーパー銭湯に出かけた。歩いて行けるところにないので運転手の私の出番だ。

結果一日おきの2日間、近所で温泉気分を味わった。母を連れてゆくにも娘ら二人が慎重につきそう。家ではなかなかできない手足大伸ばし、シャワーガンガンの2日間だった。家を出て戻るまでに80分だった。家で順番に入浴すると、1人目が入ってから4人目が出るまで80分では収まらないから、時間の使い方としては効率がいいとわかった。食事処も併設されているからたまにはいいかなどと女子目線で盛り上がっている。

出費は痛いが、誰かが怪我や病気なることを思えば、とポジティブな結論になった。

2017年12月21日 (木)

Die absoluten Musik

「絶対音楽」と訳されている。19世紀欧州楽壇を二分した論争の片方の旗印。ブラームスはその首領と目されている。本人の認識はともかくそう位置付けられてきた。

この言葉の初出は意外なことにワーグナーだと言われている。1846年ドレスデンでベートーヴェンの第九交響曲を指揮したワーグナーが、聴衆向けに執筆したプログラムノートの中、第4楽章に登場する。低弦によるレチタティーヴォを、「絶対音楽の枠を全て打ち破るかのように」と形容している。どうやらこれが用語としての「絶対音楽」の初出だという。

ベートーヴェンが絶対音楽を究極まで推し進めた結果、とうとうそれ以上どうしようもない瞬間だと位置付けている。ワーグナーはだからそこから「声楽が始まる」というのだ。

ワーグナーの考えや、論争の争点を語るのはいささか荷が重い。

大事なことは、バッハやベートーヴェンは、自分の音楽を「絶対音楽」などという言葉で規定していなかったということだ。

2017年12月20日 (水)

第九初演

1833年5月7日はブラームスの誕生日だが、そこからちょうど9年前の1824年5月7日にもまた音楽史に残る出来事があった。ウイーンでベートーヴェンの第九交響曲が、作曲者自らの指揮で初演された日でもあるのだ。

第九交響曲は、言わずと知れたベートーヴェンの最後の交響曲だ。ドイツ系音楽の過去を統合する意味合いさえ持ち合わせている。統合の次に待っているのは、大抵は拡散である。第九交響曲は後に続く作曲家たちにとって規範であり、壁であり、破壊の対象であり目標であり続けた。管弦楽作品とりわけ交響曲を書こうと志すものにとっては鬼門でさえあった。ある者は正面から挑んであえなく挫折し、ある者はピアノ小品に迂回し、またあるものは交響詩や楽劇に逃れたという。もちろん「交響曲で出来ることはもはやない」という言い訳を添えることも忘れていない。

ブラームスは、それらを横目で見ていた。慎重に機が熟すのを待った。最初の管弦楽作品、「管弦楽のためのセレナーデ」の冒頭に第九と同じ「空虚五度」を配することを忘れなかった。

ベートーヴェン第九交響曲の初演から、キッチリ9年後に生まれたブラームス、その第一交響曲は、「第九」の後継という意味を込めて「第十」と呼ばれることになる。この間流れた歳月はわずかに52年。東京オリンピックが56年ぶりだと考える両方とも初演を聴いたという人がいてもおかしくない間隔なのだ。

2017年12月19日 (火)

モンテローザ

スイスとイタリアの国境にそびえる山。標高4634mは、スイス最高峰にあたる。ブラームスは登っていない。見たことがある可能性は残る。

本日のこの記事は、ブログ「ブラームスの辞書」創設以来4634本目の記事。

2017年12月18日 (月)

Durch と zur

「Durch A, zur B」で「Aを通じでBへ」という意味になる。Aに「Leiden」、Bに「Freude」を代入することで、たちまちおなじみのフレーズ「苦悩を克服して歓喜へ」が出来上がる。ドイツ語お決まりのパターンなのだと思う。

ブラームスの友人にして超一流の外科医ビルロートのモットーもこの形式だ。

「Durch Klarheit, zur Wahrheit」である。「明晰さを通じて真理へ」とでも訳されよう。難を申すとすれば音名化が難しいことくらいか。

2017年12月17日 (日)

ベートーヴェンの記憶

ブラームスにのめり込む前、私の脳内マインドシェア第1位に君臨していた作曲家はベートーヴェンだった。クラシックにのめりこみ始めたのが中学時代で、最初に買ってもらったレコードがベートーヴェン第五交響曲とシューベルト未完成交響曲のカップリング。

案の定気が付いたらベートーヴェンにはまりこんだ。交響曲、協奏曲、弦楽四重奏曲、ピアノソナタ、ヴァイオリンソナタ、一部ピアノ三重奏曲など、ほぼ全部レコードとスコアが集まった。頭が柔らかいから旋律と曲名の紐付けがあっという間に完璧になった。伝記を始めとする書物も片っ端から読んだ。一生このままかもしれないと予感していたし、それでもいいと思っていた。

高校卒業の段階でのお気に入りは以下の通り。

  • 交響曲 7番6番4番の順。
  • 協奏曲 ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲第4番
  • 弦楽四重奏曲 15番イ短調 4番ハ短調 9番ハ長調 2番ニ長調の順
  • ピアノソナタ 第31番イ長調 第21番 第8番の順

ブラームスなんか屁とも思っていなかった。この記事を書くためにベートーヴェンのどこが好きだったのか思い出そうとしているのだが、どうも要領を得ない。思い出せないのだ。

中学高校の時代は、ベートーヴェンにがんじがらめにされる感覚が心地よかったのだが、大学に入ってから、パーソナルな塗り残しがあるブラームスが好きになった。秩序と思いが程よくブレンドされていると感じたのだ。話聞いてくれそうなのはブラームスだと思った。

私の心の中では既にブラームスはもちろんバッハやドヴォルザークにも抜かれてしまったベートーヴェンだが、今でも楽譜だけはたくさん持っている。

2017年12月16日 (土)

第九初体験

私の第九初体験は1973年12月16日だった。中学1年13歳だった。父に連れられて年末恒例の演奏会に出かけた。鳥肌モンの感動だった。

ブラームスの第九初体験はどうも私より遅いらしい。1854年11月30日付けのクララへの手紙に、第九交響曲を聴いたことに言及されているそうだ。歓喜の歌の旋律を引用しているらしい。そのニュアンスから、これがどうも初めての第九鑑賞だったのではないかと推測されていると言うわけだ。グルント指揮のハンブルクフィルハーモニーの演奏だ。

この交響曲を踏み越えて行かねばならないとの宣言が発せられていればカッコいいのだが、そうではなかったようだ。はるか遠くにボンヤリとともる灯かり程度だろう。

このときヨハネス・ブラームス21歳。私に遅れること8年だ。

2017年12月15日 (金)

抱き合え百万の人々よ

ドイツ語で「Seid umschlungen,Millionen」とされている語句だ。ベートーヴェンの第九交響曲の第4楽章に現れる。つまりシラーの「歓喜に寄す」の中にこの言い回しがあるということだ。

ヨハン・シュトラウス2世のワルツにもズバリ「Seid umschlungen,Millionen」がある。op443である。驚いたことにこの作品ブラームスに献呈されているらしい。1892年のことだ。

ヨハン・シュトラウス2世は、この文言がベートーヴェンの第九交響曲の一節と一致することを知っていたのだろうか。確認は出来ぬが知っていた可能性が高いと思う。贈られた相手のブラームスも当然知っていただろう。何かのパロディだったらオシャレだと思う。

2017年12月14日 (木)

空虚五度

「空虚五度」とは、第三音を抜いた和音だ。「ドミソ」という場合の「ミ」を抜くことだ。ミにフラットが付けば短調、付かねば長調になるという具合に、長短の決定権を握る第三音の省略であるから、長短いずれとも決めかねる曖昧さが売りだ。古来用例は山ほどあるが、ベートーヴェンの第九交響曲の冒頭がとりわけ名高い。16小節間「ミ」と「ラ」しか現われないという徹底ぶりである。

ブラームスは最初の管弦楽作品である「管弦楽のためのセレナーデ第1番」の冒頭でベートーヴェンの第九交響曲と同じ空虚五度を配置する。3小節目でホルンに嬰ヘ音が現われて、あっという間にニ長調が確定してしまうが、第九交響曲をすこーしは意識していたかもしれない。

2017年12月13日 (水)

マッコークルの抄録

ブラームス作品目録、通称「マッコークル」はもちろんドイツ語で記述されている。そりゃあもうものすごい情報量なのだが、言葉の壁は高い。先般入手した「ブラームスとその時代」という書物の巻末の作品リストは、マッコークルの抄録和訳として機能する。譜例は抜けているものの、作品番号の無い作品や編曲物まで下記の要領で掲載されていて重宝だ。

  1. 献呈先
  2. 作曲年
  3. 初演年月日
  4. 出版年月日

ひとまずこれらが日本語でさくさく読めるだけでありがたい。

2017年12月12日 (火)

大作曲家とその時代

都内某書店で「ブラームスとその時代」という書籍を買い求めた。店頭で手に取って4500円をためらわずに支出した。2017年11月3日西村書店刊だから、出来立てのほやほやだ。クリスチャン・マルチン・シュミットというドイツの学者の著述を和訳したもの。

作曲家の伝記的事項に相応の配慮をしつつ、時代背景に切り込むというスタンスだ。民謡へのあたたかなまなざしも見て取れる。WoO33を背負う「49のドイツ民謡集」を、学術的とまで断言し、ブラームス本人が同作を作曲の集大成と位置付けていたという解釈に目から鱗が数枚落ちた。民謡へのあたたかなまなざしは特筆ものだ。

2017年12月11日 (月)

島原の乱

寛永14年10月25日、九州天草で代官所が襲撃された。これが島原の乱の勃発である。事の起こり自体は重税が原因とされ、必ずしも信仰のためではなかったが、首謀者側の結束にキリスト教信仰が寄与していた。

ここでいうキリスト教徒はカトリックである。当時日本の人口の10%にも届くかという試算もあるくらい、無視しえぬ勢力であった。

勃発の日を新暦になおすと1637年12月11日であるから、今日は島原の乱勃発からちょうど380年になる。

外交史的には、日本が鎖国を完成する過程になる。1639年にポルトガル人を追放して完成することになるいわゆる「鎖国」は、その過程が欧州での三十年戦争の期間にピタリと符合する。

音楽史的に申すなら初期バロック時代となる。

2017年12月10日 (日)

ワンナワーコンサート

一昨日、東京白寿ホールに行ってきた。19時30分からの60分のコンサート。だから「ワンナワーコンサート」だ。川本嘉子先生のコンサート。

20171209_083841シューマンの歌曲集「詩人の恋」op48とブラームスの「4つの厳粛な歌」op121を、ヴィオラとピアノの二重奏でというプログラム。オリジナルは名高い名高いドイツリートの大定番作品だから、そこから声楽を抜いてヴィオラをさしはさむということだ。

演奏後ご本人が、そのことに触れた。「本来の歌を抜いてヴィオラでというのは挑戦的なプログラム」と開口一番。「私は歌ではとうてい伝えることはできないから、なんとかヴィオラでと思い続けて弾きましたが伝わりましたでしょうか」と謙遜気味。どこまでも気さくで率直なトークはさらに続く。「私はキリスト教徒ではないのに、イエス様おっしゃるとおりと思わされる場所がたくさんあった」「演奏の最後にさしかかって、もう終わっちゃうんだ。次はいつ弾けるだろう」と控えめな本音の告白があった。演奏をさしおいて真っ先に言及せざるを得ない圧倒的なトークだった。

明らかにブラームスが念頭に置かれたこの言葉たち。声のパートとテキストをヴィオラに差し替えた代わりに演奏後のこのトークがやけに雄弁で説得力があった。

さて演奏。

ブラームス補正がかかった私には極上のメインディッシュだった。「4つの厳粛な歌」のテキストの抑揚や意味への深い洞察なしにはあり得ない、精巧なアーティキュレーションとダイナミクス制御。おそらく意図的な解放弦の使用によって醸し出されるさめざめとした感じ。オリジナルのもつフレーズ感に忠実なキュートで控えめなポルタメント気味のフレージング。まさにセンス、気の利いたとしかいいようがないフラジオ。ヴァイオリンやチェロでなく、ヴィオラで弾かれねばならぬ必然性を実感させる音色の丸み、とりわけC線ハイポジションの限定的な使用が印象的だった。あげればきりがない。

第1曲の砂塵が舞う場面への劇的な転換。大好きな大好きな第2曲全体に充満する慈愛、そしてブラームス4曲の、いや演奏会全体の響き・主張の頂点はおそらく第3曲にあったはずだ。引き裂くような第3曲の冒頭の入りを聴いて震えた。6小節目アウフタクトmpから始まるピアノ右手とのカノン。オリジナルの歌で聴くより明確に聞こえた。長調に転じた瞬間の天上感は、どこまでも澄み切っていて自然だった。

第4曲が満を持したような確信に満ちたアップボウで始まったとき、「事実上のヴィオラソナタ」だと気づいた。4つの歌が、4つの楽章に相当すると。緩徐楽章を3楽章に据えたソナタであると。おそらくブラームスの意図に由来する「4曲がセットであり、この順で弾かれねばならぬ必然性」が、声をヴィオラに差し替えたことでクリアに浮かび上がった。

1曲目アンコールにメンデルスゾーンを持ってこられて納得度はさらに高まる。シューマン、ブラームス、メンデルスゾーンという配置。アンコール2曲目が、明らかにクララが意図された「献呈」だったとき、シューマン夫妻の最後の子供の名前がメンデルスゾーンに由来する「フェリクス」で、その子の名付け親がブラームスであったことを否応なく思い出した。

シューマンに言及するだけの知識がないことが、恥ずかしくも申し訳なく感じた。

2017年12月 9日 (土)

江戸時代の見直し

昨今、何かと江戸時代が見直されているという。鎖国、士農工商、キリスト教弾圧などネガティブな見方ばかりでもあるまいという風潮だ。日本がアメリカナイズされる前の「古き良き時代」という捉え方だ。明治維新というある種の革命により、文明開化、脱亜入欧が叫ばれ江戸時代が否定された結果が、現在も続いていると思われる。そうなる以前の江戸時代をもっとキチンと整理して再評価しようという傾向だ。

ベートーヴェンで飽和した感のある古典派時代が、明治維新よろしく弾けてしまったのが、いわゆる「ロマン派の時代」だ。「古いこと=悪いこと」「壊すこと=良いこと」であるかのような風潮に支配された。訳のわからぬ作品が「未来の音楽」のキャッチフレーズとともにもてはやされた。みんなこの風潮に酔った。才能の有無に関わらず、この波に乗り遅れまいという時代になった。

そこへひょっこりブラームスだ。「江戸時代も捨てたモンではありませぬ」とばかりに説得力ある作品を携えて現れた。才能が無くてただ波に乗ってた輩は、「やばい」のと照れ隠し代わりにブラームスを攻撃する。いわく「保守的」「時代錯誤」「室内楽的」という三点セットだ。ブラームスの時代にあっては既に確立していた「明治維新の空気」にひょっこり乗る方がよっぽど保守的である。保守的であるばかりか「楽」なのである。そんな時代に敢然と江戸時代に回帰して見せることの方が数段勇気が要るのだ。ましてブラームスは、しばしば鎌倉時代まで遡ることすら試みている。

もっとも大切なことは、ブラームスの取り組みが、単なる懐古趣味や実験にとどまらずに芸術と継ぎ目なく融合している点である。単なる懐古趣味や実験に終始し、ついぞ芸術の域に到達しなかった輩も少なくない中で、ブラームスがそれに高い確率で成功していることが私をブラームスに駆り立てる原因の一つになっている。

後世に残すに相応しからぬ作品を自ら廃棄する勇気を誰にもまして持っていたのがブラームスだ。おそらくそれは古来「武士道」と呼びならわされているものに似ているのではないかとも思っている。

2017年12月 8日 (金)

鎖国

江戸幕府の外交政策のこと。外交と貿易の幕府独占という意味かと思われる。薩摩藩や松前藩など例外もある。諸外国とのつきあいをやめたため、科学技術の進歩という面で遅れをとった原因というイメージが過剰に強調されている感じもする。

我がブログ「ブラームスの辞書」は、いい歳をした大人が管理しているにも関わらず、世の中の動きに敏感に反応するとは言い難い。サッカーについてのトピックに控え目に言及する程度だ。

季節、天変地異、政治、事件との連動をむしろ意図的に避けている。私個人の身の回りの出来事への感想が記事になることもない。世間様の動きに背を向けている姿は「鎖国」にも似ていよう。その手の話は私がブログで話題にしなくても皆が話題にする。ブラームスネタへのこじつけに成功しない限りは積極的に取り上げることはない。

例外は家族の話題だ。とりわけ子供たちの話は時々記事のネタになる。ブラームスネタの濃度が低下する一因ではあるが懲りる様子は無い。将来子供たちのカテゴリーを順に振り返ると事実上の育児日記になっていると思われる。つまり鎖国体制の中、わずかに開かれた出島のようなものだ。

2017年12月 7日 (木)

DBのペン

私の「ドイツ好き」「鉄道好き」をよく知る人から一足早いクリスマプレゼントをもらった。

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ドイツバーンの手帳とボールペンだ。質実剛健な造りなのだが、「DB」イメージカラーが前面に出ておしゃれな感じ。ペンライトもついている。何より「DB」のロゴがまぶしい。「JR」や「ルフトハンザ」より盛り上がる私のストライクゾーンの中央を深々とえぐる一品。

1835年12月7日が、ドイツ初の鉄道が開通した日。今日はドイツの鉄道記念日だ。

2017年12月 6日 (水)

貧民施設の食事

出世を遂げた後のブラームスの食事については、十分とは言えないまでも複数の証言がある。これに比べてハンブルク時代の食事がなかなか判明しない。メニューが紙で残るのはレストランくらいで、一般家庭のメニューが理由もなしに記録されるとも思えない。

思わぬ手掛かりは教会。教会直営の福祉施設、貧民のための救済施設の献立が保存されていることがある。農分社刊行の「世界の食文化」の18巻「ドイツ」にブラウンシュヴァイクの貧民施設における1週間の献立が掲載されていた。1842年という絶妙な時期のものだ。

青字が昼食、赤字が夕食とする。ちなみに朝食は記録されていない。

  • 月 ひきわり大麦、ジャガイモバター付き黒パン、脱脂ミルク
  • 火 ニンジン、ジャガイモジャガイモスープ、脱脂ミルク
  • 水 レンズ豆、ジャガイモバター付き黒パン、脱脂ミルク
  • 木 えんどう豆、ジャガイモバター付き黒パン、脱脂ミルク
  • 金 スウェーデンカブ、ジャガイモあら引きオート麦、脱脂ミルク
  • 土 レンズ豆、ジャガイモ、バター付き黒パン、脱脂ミルク
  • 日 白いんげん豆、じゃがいもバター付き黒パン、脱脂ミルク

貧民施設の給食とはいえ気の毒だ。ブラームスの家は貧しかったことが頻繁に記述されている。これよりもっとシンプルな食事だったかもしれないし、これよりはマシだったかもしれない。いずれにしろジャガイモ中心で、肉は出ないと判る。ワインやビールはもとよりコーヒーだって現れない。ブラームスの伝記で言う貧乏とはつまりこの水準の話だということだ。

2017年12月 5日 (火)

イエンナーの昼食

グスタフ・イエンナーは、ほぼ唯一と申して良いブラームスの作曲の弟子。彼の残した回想録は、師匠ブラームスを活写していて面白い。

弟子入りした最初の頃、ブラームスとちょくちょく昼食を取ったと証言している。場所は毎度「赤いはりねずみ」だったらしい。ところが程なく自分だけ遠慮したという。その理由が、70~80グルデンの代金を支払うのが苦しかったからだとイェンナー本人が述べている。ほぼ1000円と思って良い。

記事「ランチのご予算」でブラームス本人がウィーンにいる間、ランチに費やす金額が2000円~3000円だと書いた。駆け出しの音楽家にとっては毎日1000円を昼食につぎ込むのが辛かったということだ。

やっぱりブラームスのランチはリッチだったのかもしれない。

2017年12月 4日 (月)

組み合わせ抽選

来年のロシアワールドカップのグループリーグの組み合わせが決まった。H組の日本の対戦順は以下の通り。

  1. コロンビア
  2. セネガル
  3. ポーランド

相当運を使ったはずだ。前回大敗を喫したコロンビアは強いが、欧州勢がポーランドというのは強運だ。ドイツ、スペイン、ベルギー、ポルトガルあたりよりは相当ましだ。それからこの対戦順も素晴らしい。初戦にもっとも強いところとやれるのはうれしい。負けても挽回が利く。強豪がやらかすとすれば初戦でもある。

さてさてドイツは、メキシコ、スウェーデン、韓国だ。興味深いのはスェーデンだ。欧州プレーオフをイタリアと戦い、きわどく本大会に進出したからだ。ここにイタリアが入っていたら、ドイツは穏やかではなかったはずだ。大会開催時の実力や下馬評に関係なく、ドイツはイタリアと相性が悪い

アジアから参加の韓国は、相当つらい。ポルトガル、スペインと同組のイランも同様だ。日本はかなり恵まれたと感じる。

2017年12月 3日 (日)

通算90万アクセス

昨夜遅く、ブログ「ブラームスの辞書」開設以来のアクセスが90万に到達した。12年半をかけての大台だ。

弱小ブログではあるのだが、長く続けているとこういうことも起きてくる。日頃のご愛顧にただただ感謝する次第である。

2017年12月 2日 (土)

ランチのご予算

私の勤務先周辺では、お昼ともなるとお弁当の屋台が鈴なりになる。価格訴求の最先端を行く業者は390円を打ち出している。昼時にはサラリーマンが行列を作る。私は弁当を持参することもあるが、実質390円では作れないと母は断言する。節約するなら弁当を買った方がいいのだ。

さて、ウィーン定住後のブラームスは最早勤め人とは言えないが、友人たちがブラームスの昼食事情を証言している。行きつけのレストランで毎日2000円から3000円を費やしていたらしい。

微妙だ。普通のサラリーマンで毎日2000~3000円をランチに費やすとは思えない。たまになら考えられるが、毎日この金額をつぎ込むことはあり得まい。役員クラスでないと無理だ。かといって昼食に10000円投じているとならないところが、ブラームスらしい。昼間からビールかワインを飲んでたっぷり時間をかけた昼食なら、想像もつかないという訳ではない。上天丼、鰻重、サーロインステーキ、上ちらし寿司に少々のアルコールがからめば十分にあり得る。これが毎日だから凄いとも言える。もしかすると連れの支払いも自分持ちということも多かったと思われる。だとすれば2000~3000円も驚くには当たるまい。

リッチな昼食だが、欧州楽壇の重鎮にしては、至極まっとうだと思う。

2017年12月 1日 (金)

シュトーレン

ドイツのお菓子。クリスマスの代表的な味だ。元々ドレスデンの名物らしい。シューマン一家はデュッセルドルフに移る前にはドレスデンに居たから、シュトーレンを食べたかもしれない。けれども当時既にドイツ中で食べられるようになっていたとすればドレスデン以外でも口にすることは出来たと思われる。

ブラームスの母がシュトーレンを作ったかどうか確認中。

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ブラームスの辞書写真集

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