ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« モンテローザ | トップページ | Die absoluten Musik »

2017年12月20日 (水)

第九初演

1833年5月7日はブラームスの誕生日だが、そこからちょうど9年前の1824年5月7日にもまた音楽史に残る出来事があった。ウイーンでベートーヴェンの第九交響曲が、作曲者自らの指揮で初演された日でもあるのだ。

第九交響曲は、言わずと知れたベートーヴェンの最後の交響曲だ。ドイツ系音楽の過去を統合する意味合いさえ持ち合わせている。統合の次に待っているのは、大抵は拡散である。第九交響曲は後に続く作曲家たちにとって規範であり、壁であり、破壊の対象であり目標であり続けた。管弦楽作品とりわけ交響曲を書こうと志すものにとっては鬼門でさえあった。ある者は正面から挑んであえなく挫折し、ある者はピアノ小品に迂回し、またあるものは交響詩や楽劇に逃れたという。もちろん「交響曲で出来ることはもはやない」という言い訳を添えることも忘れていない。

ブラームスは、それらを横目で見ていた。慎重に機が熟すのを待った。最初の管弦楽作品、「管弦楽のためのセレナーデ」の冒頭に第九と同じ「空虚五度」を配することを忘れなかった。

ベートーヴェン第九交響曲の初演から、キッチリ9年後に生まれたブラームス、その第一交響曲は、「第九」の後継という意味を込めて「第十」と呼ばれることになる。この間流れた歳月はわずかに52年。東京オリンピックが56年ぶりだと考える両方とも初演を聴いたという人がいてもおかしくない間隔なのだ。

« モンテローザ | トップページ | Die absoluten Musik »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 第九初演:

« モンテローザ | トップページ | Die absoluten Musik »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2025年6月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ