Ernst-Erich Stender
ドイツバロック伝統のオルガン曲のジャンルに「コラール前奏曲」がある。ブラームスの最後の作品がこの形態を採用していることで、ブラームスその人を、直接バロック時代に連れ出して、ドイツバロックの巨匠たちと比較鑑賞できると喜んだばかりだ。
教会で、聖歌隊や会衆がコラールを歌う前にオルガンで耳慣らしをするというのが、本来の機能だが、時代が下るに連れて、装飾や変奏が華麗に付加されるに至るのだが、本来の機能はあくまでも音取りだ。
ブラームス最後の作品「オルガンのための11のコラール前奏曲」op122の第1番は、コラール「わがイエスよ、我を導き給へ」がベースになっている。
見ての通り、冒頭赤枠の中が「HGEC」となっている。第4交響曲第一楽章冒頭と完全に一致する。
おそらく同じことに気付いたのが本日のタイトルにもなっているエルンスト・エーリッヒ・シュテンダーさんだ。オルガニストのこの人、ブラームスの第4交響曲をオルガン用に編曲してCDを出してくれている。オルガンで第4交響曲第1楽章を弾かれてしまうと、それはコラール「わがイエスよ、我を導き給へ」の音取りとして不足なく、機能してしまう。ご承知の通り同交響曲はフィナーレ第4楽章末尾で第一楽章第一主題が力強く回帰することを思うと、交響曲全体がコラール「わがイエスよ、我を導き給へ」の巨大な前奏曲と位置付け得る。
そう思って聴くとこのオルガン編曲にはただならぬ説得力が宿る。4つの中からもし一つだけオルガン編曲をするなら4番しかないとも思えてくる。
そしてそして、交響曲の余白には「オルガンのための11のコラール前奏曲」op122から、2番5番、8番~11番が本当に収録されている。シュテンダーさんは実際のコラール前奏曲と並置させているのに第4交響曲とかぶる第1番「わがイエスよ、我を導き給へ」を省いているのも見識の反映だろう。
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