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2018年1月31日 (水)

巡航高度

旅客機に乗っているとしよう。高度33000フィート、およそ10000mに達すると、機内アナウンスされることがある。離陸後の上昇を終えましたということだ。燃焼に必要な酸素があって、そこそこ空気の密度が低いことがバランスする高度だと記憶している。ここから水平飛行だ。機内サービスや物品の販売も始まる。

ブログ「ブラームスの辞書」史上最大の企画「バロック特集」が離陸してから1か月たった。企画立ち上げのばたつきも収まり、いよいよあたたまってきた。ここいらで乗客に乗り心地をおたずねするのがセオリーというものだ。

2018年1月30日 (火)

オルガン自由曲の標題

コラールに準拠しないオルガン作品は「オルガン自由曲」と呼ばれているのだが、それらはさらに細分される。バッハを例に整理一覧化しておく。ベースはオルガン自由曲54曲だ。多い順に列挙する。

  1. 前奏曲とフーガ 18曲 「Praeludium und Fuga」BWV531から552まで。
  2. トリオソナタ 6曲 BWV525から530まで。両手と足でトリオという斬新さ。
  3. コンチェルト 5曲 BWV592から596まで。他者作品の編曲。「無伴奏オルガン協奏曲」
  4. トッカータとフーガ 5曲 BWV538、543、564、565、566。
  5. トリオ 4曲 BWV583から586。
  6. フーガ 4曲 BWV574、575、578、579。BWV578は「小フーガト短調」である。
  7. 幻想曲とフーガ 3曲 BWV537、542、582。
  8. 前奏曲 3曲 BWV568~570。
  9. 幻想曲 2曲 BWV572と573。
  10. アリア 1曲 BWV587
  11. カンツォーナ 1曲 BWV588
  12. パッサカリアとフーガ 1曲 BWV582
  13. パストラーレ 1曲 BWV590

以上だ。3分の1が「前奏曲とフーガ」である。

さて、最後の作品「オルガンのための11のコラール前奏曲op122」とは別に、ブラームス初期のオルガン作品の中にオルガン自由曲がある。下記の通り、バッハの標題リスト中に該当曲がヒットする。

  1. フーガ 変イ短調WoO8
  2. 前奏曲とフーガ イ短調WoO9
  3. 前奏曲とフーガ ト短調WoO10

どれも20代前半の作品だ。バッハ作品の中に入っていてもわからんのだが、「変イ短調」とはいったいどういう風の吹きまわしだろう。フラット7個の短調なんぞバッハにはない。

2018年1月29日 (月)

オルガン作品の大分類

オルガン作品は、以下の通り2種類に大別出来る。

  1. 定旋律に準拠している作品
  2. 定旋律に準拠していない作品

なんのことやらさっぱりだ。ここでいう「定旋律」とはほぼ「コラール」と解していい。地味に重要なのはそのコラールの作曲者が自分自身ではないという点である。

ということはつまり「定旋律に準拠している作品」とは宗教的色彩を色濃く帯びているということだ。「コラール前奏曲」がその代表だ。

今一つの「定旋律に準拠していない作品」は、しばしば「オルガン自由曲」と称されている。「トッカータとフーガニ短調」「小フーガト短調」もこの中に属する。キリスト教の影響を直接的には受けていない。

ブラームス最後の作品「オルガンのための11のコラール前奏曲op122」は、上記分類で申せば1番「定旋律に準拠している作品」ということになる。

2018年1月28日 (日)

ノイマイスター手稿譜

ヘッセン州フリートベルクの第二オルガン奏者であったヨハン・ゴットフリート・ノイマイスターさん(1756-1840)が、オルガンのためのコラールを筆写した楽譜の通称だ。モーツアルトと同い年の牧師さんでバッハとの面識はない。

これがアメリカの研究者にわたり、その死後1872年にイェール大学に寄贈されて現在に至っている。1982年代になってイェール大学から刊行された。収載は84曲で、このうちの38曲がバッハの作品と目されている。このうち5曲は、1980年代すでにバッハ作として認知されていたが、他は異論も多く、真贋論争になっている。

バッハ作品と思しき38作の他、バッハの最初の妻マリアバルバラの父、ヨハンミヒャエルバッハの作品が26曲あるほか、パッヘルベルの作品もあるという。

バッハ作については幸い我が家にCDがある。BWVでいうなら1100前後の大きな番号だというのが特徴だ。

2018年1月27日 (土)

Orgelromantik in Buxtehude

CDのタイトル。店頭で手に取ったときはなんのことか直ちに呑み込めなかった。

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こんな具合だ。

北ドイツ・ブクステフーデにある聖ペトリ教会のフィリップ・フルトヴェングラーさん製作のオルガンで、ブラームスとメンデルスゾーンのオルガン作品を演奏した代物という正確な理解の到達するのにかなりな時間がかかった。オルガン奏者としても名高い作曲家ディートリヒ・ブクステフーデとは何の関係もなかった。フルトヴェングラーさん製作のオルガンとはこれまた紛らわしい上に、バロック音楽のブクステフーデの棚に置かれていては混乱も仕方ない。

2018年1月26日 (金)

ありそうで無かった

シュテンダーさんの第4交響曲オルガン版のCDの話題ではしゃいだばかりだが、上には上がある。昨年末に偶然見つけた。某中古CDショップのオルガン作品の棚にひっそりと置かれていた。

Jean-CharlesAblitzerというオルガニストが1990年に出したCD。ブラームスのオルガン作品全集という触れ込みだ。これ自体はさして珍しくないのだが、念のため手に取ってびっくり。

「Rene Schirrer:Baryton」と書いてある。「はあ?」ってなもんだ。よくよくよむと「Original Choral meloddies」と書かれている。これ以上は開封しないとわからんので1080円を賽銭代わりに支払って買い求めた。

帰宅するなり再生。思った通りだ。ブラームスのオルガンのための11のコラール前奏曲」op122が、そのもとになったコラールとともに収録されていた。元のコラールをバリトン歌手が歌ってくれているのだ。いやはや目から、いいや耳から鱗である。我が家には何種類か同作品のCDがあるけれど、元のコラールも一緒に歌われているのは初めてだ。

8番「Es ist Ros'entsprungen」通称「エサイの根より」がいきなり歌い出されて耳に新鮮だった。もろに讃美歌だ。これ以外も、元のコラールをブラームスがどのように仕立てたかを具体的に示すという意図が鮮やかで気持ちがいい。

歌手もオルガニストもドイツ系を思わせるがCDはフランス製というのが意外な感じ。フランスのブラームス好きに一本取られた感じがする。

2018年1月25日 (木)

Ernst-Erich Stender

ドイツバロック伝統のオルガン曲のジャンルに「コラール前奏曲」がある。ブラームスの最後の作品がこの形態を採用していることで、ブラームスその人を、直接バロック時代に連れ出して、ドイツバロックの巨匠たちと比較鑑賞できると喜んだばかりだ。

教会で、聖歌隊や会衆がコラールを歌う前にオルガンで耳慣らしをするというのが、本来の機能だが、時代が下るに連れて、装飾や変奏が華麗に付加されるに至るのだが、本来の機能はあくまでも音取りだ。

ブラームス最後の作品「オルガンのための11のコラール前奏曲」op122の第1番は、コラール「わがイエスよ、我を導き給へ」がベースになっている。

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見ての通り、冒頭赤枠の中が「HGEC」となっている。第4交響曲第一楽章冒頭と完全に一致する。

おそらく同じことに気付いたのが本日のタイトルにもなっているエルンスト・エーリッヒ・シュテンダーさんだ。オルガニストのこの人、ブラームスの第4交響曲をオルガン用に編曲してCDを出してくれている。オルガンで第4交響曲第1楽章を弾かれてしまうと、それはコラール「わがイエスよ、我を導き給へ」の音取りとして不足なく、機能してしまう。ご承知の通り同交響曲はフィナーレ第4楽章末尾で第一楽章第一主題が力強く回帰することを思うと、交響曲全体がコラール「わがイエスよ、我を導き給へ」の巨大な前奏曲と位置付け得る。

そう思って聴くとこのオルガン編曲にはただならぬ説得力が宿る。4つの中からもし一つだけオルガン編曲をするなら4番しかないとも思えてくる。

そしてそして、交響曲の余白には「オルガンのための11のコラール前奏曲」op122から、2番5番、8番~11番が本当に収録されている。シュテンダーさんは実際のコラール前奏曲と並置させているのに第4交響曲とかぶる第1番「わがイエスよ、我を導き給へ」を省いているのも見識の反映だろう。

2018年1月24日 (水)

コラール前奏曲の元ネタ

ブラームスの最後の作品「オルガンのための11のコラール前奏曲」op122は、バロック以来の伝統にのっとり、「コラールの前弾き」という体裁をとる。実際には教会での演奏という側面は失われていながら、形だけを誠実にトレースした代物。既存既知のコラールをベースにした変奏曲となっている。

本日は11曲すべてについてその原曲の出所を一覧化しておく。

<第1番>「Mein Jesu,der du mich」わがイエスよわれを導き給へ

  • Darmstadt Gesangebuch 1698
  • 6小節目の後半から足鍵盤に低旋律が現れる。「H-G-E-C」とは第四交響曲冒頭と完全に一致する。

<第2番>「Herzliebster Jesu」敬愛するイエスよ

  • Johann Crueger 1640
  • マタイ受難曲BWV244第3曲に現れる。

<第3番><第11番>「O Welt,ich muss sich lassen」おおこの世よ我汝を去らねばならず

  • 不詳。ニュルンベルク1555年頃

<第4番>「Herzlich tut mich erfreuen」わが心は喜びに満ちて

  • 不詳。Wittenburg1552年頃

<第5番>「Schmuecke dich,Liebe Seele」装え愛する魂よ

  • Johann Crueger 1649
  • BWV654にある。

<第6番>「O wie selig seid ihr doch.ihr Frommen」おお汝、信心深い人々はいかに至福なるか

  • Johann Crueger 1647

<第7番>「O Gott,du frommer Gott」お神よ、汝やさしき神よ

  • 不詳。ブラウンシュヴァイク1648年頃

<第8番>「Es ist ein Ros'entsprungen」一輪のバラが咲いて

  • 不詳。最古の出版は1599年。
  • 讃美歌96番「エサイの根より」に一致。

<第9番><第10番>「Herzlich tut mich verlangen」心から私は願う

  • Hans Leo Hassler1601年
  • 書籍「ブラームスの辞書」の口絵は「10番の手稿譜」1ページ目になっている。
  • バッハのBWV727のオルガンコラールと同一だ。BWV161のカンタータにも登場する他、マタイ受難曲にも同じ旋律が現れる。

以上。最古のものは1552年。ただし8番は出版こそ1599年だがもっとさかのぼる。最新のものでも1698年だ。

クララを失った傷心のブラームスがイシュルに戻って書き上げた11曲。ウィーンの自宅に資料を取りに戻ることなく書けたということは、これらオリジナルが頭に入っているということだ。ドイツの古い音楽がすっかりなじんでいたということだ。

2018年1月23日 (火)

O Traurigkeit, o Herzeleid

「コラール前奏曲とフーガイ短調」WoO7として知られるブラームスのオルガン作品がある。そのベースになったコラールが「O Traurigkeit, o Herzeleid」である。「おお悲しみ、おお心の悩み」と訳されている。

作曲は1858年。ブラームス25歳の作品だが、1856年のロベルト・シューマン没の前後にまたがる広大な出版空白の時期でもあった。最晩年の「オルガンのための11のコラール前奏曲op122」に先行するオルガンコラールだが、バッハの前例にならってきっちりとフーガが付与され、「前奏曲とフーガ」という形態を採用しているのが若きブラームスの見識だろうか。

バッハには同コラールをベースにした作品が2つある。「Anh200」と「Anh204」だ。アンハングだからどちらも「断片」または「偽作」という扱いだ。

パッヘルベルにはP398のコーラル幻想曲が、同じコラールをベースにしている。

25歳の若さにして自らバロックの伝統に根差した作品を書くブラームスであった。

2018年1月22日 (月)

同じ土俵としてのコラール前奏曲

そもそもの話として「コラール前奏曲」とはなんぞやという問いを議論しておきたいが、実はかなり複雑で私ごときの手には余る。会衆や聖歌隊が教会で歌うコラールの前にオルガンで示される音取りを兼ねた小品というくらい。形式的には、コラールの定旋律がほのめかされる。コラールのオルガン伴奏とは厳に区別される。

プロテスタント系の音楽史上では避けて通れぬ歴史がある。サムエル・シャイトが17世紀前半にその規範を示して以降、プロテスタント圏内で発展を遂げる。ブクステフーデ率いる北ドイツとパッヘルベル率いる中部ドイツで特色ある発展を遂げたあと、バッハがさらに統合発展させた。

同じコラールをベースに複数の作曲家がコラール前奏曲を仕上げることもあった。

ブラームスは人生の終盤に差し掛かって「オルガンのための11のコラール前奏曲」op122を作曲した。クララ没後に自らの死さえ予見しながらだ。

これがどんだけすごいことか。

おかげで、バッハよりさらに数世代遡るドイツ音楽の巨星たちと同一のジャンルで比較することが出来る。バッハ以前のメンバーは教会を職場にしていたから、本当にコラールの前に演奏するためのものだったが、ブラームスではその側面は薄れ、事実上「コラール〇〇の主題によるオルガンのための変奏曲」という位置づけになっている。ブラームスは「コラール前奏曲」というジャンルの歴史的意義を深く認識していながら、実演の可能性を棚上げにして、あえて同じ形態を世に問うた。創作人生の最後にだ。

これを「バロック音楽への没入」と称してどれほどの誤謬を含むことになるのだろう。op122にちなんで1月22日の公開だ。

2018年1月21日 (日)

ブラームスはオルガンを弾いたか

作曲家ヨハネス・ブラームスはオルガンを弾けたのかという疑問が本日の話題である。

通常作品を残すことイコール楽器の演奏が出来ることにはつながらない。管弦楽作曲家がオーケストラの全ての楽器演奏に長けていることなどあり得ない。知識や理屈に精通していることと演奏できることは別物だ。

バッハは、オルガン演奏の名手にして、クラヴィーア演奏も相当のレベルだった。あるいは、ヴィオラやヴァイオリンも並以上の弾き手だったという。そしてそれらの楽器のために数多くの作品を残した。

ご存知の通り、ブラームスはピアノ演奏においても上級の腕前を披露した。到達度を問わないならば、幼い頃にヴァイオリンやチェロも習った事がある。

ピアノ演奏の大家であれば、オルガンも相当に弾けたのではないかと想像してしまう。ライプチヒ・トマス教会のカントル就任を要請されるくらいだから、オルガンも相当な腕前だったのではないだろうか?

2018年1月20日 (土)

Weimar orgeltabulatur

「ワイマールオルガン手稿譜」とでも訳せよう。2006年にワイマールのアンナ・アマリア図書館で発見された。

若きブラームスが先輩作曲家の作品を次々に写譜したことは既に述べておいた。同じことがバッハでも起きていた。「ワイマールオルガン手稿譜」は、バッハ自身による先輩作曲家オルガン作品の筆写譜で、その時期は1700年、リューネブルクのベームに師事していたバッハ15歳の筆写譜だ。

筆写されていたのは以下の2曲。

  1. ブクステフーデ:オルガンコラール幻想曲「Nun freut euch,lieben Christen」BuxWV210
  2. ラインケン:コラール幻想曲「An Wasserfluesen Babylon」

また、同時に別の手稿譜も発見された。バッハの弟子シューバルトがパッヘルベルのオルガンコラール幻想曲を筆写したものだ。

  1. コラール幻想曲「Kyrie,Gott Vater in Ewigkeit」
  2. コラール幻想曲「An Wasserfluesen Babylon」

先輩作曲家の作品を筆写するということが、有効な教育のツールだったことは確実だ。

2018年1月19日 (金)

古楽譜コレクション

ブラームスが没した後、その遺品には膨大な古楽譜のコレクションがあった。遺言によりウィーン楽友協会に相続されて今日に至っている。本日はコレクションの対象になった作曲家をアルファベット順に列挙し、生年を添える。ただしバッハが没した1750年以前に生まれた作曲家に限ることとする。

  1. Ahle,Johann Rudolph 1625
  2. Ammerbach,Elias Nicolaus 1530
  3. Bach,Johann Sebastian 1650
  4. Calvisius,Sethus 1556
  5. Cesti,Marc,Antonio 1623
  6. Clemens non papa,Jakobs 151
  7. Corsi,Giiseppe ?
  8. Demantius,Christoph 1567
  9. Durante,Francesco 1684
  10. Frescobaldi,Girolamo 1583
  11. Gabrieli,Giovanni 1557
  12. Gallus,Jakobus 1550
  13. Greiter,Matthias 1500
  14. Haendl,Georg Friedrich 1685
  15. Hassler,Hans Leo 1564
  16. Haydn,Joseph 1732
  17. Heintz,Wolff ?
  18. JudenKoenig,Hans 1450
  19. Lasso,Orlando 1532
  20. Lotti,Antonio 1667
  21. Luther,Martin 1483
  22. Mattheson,Johann 1681
  23. Palestrina,Giovanni Pierluigi 1525
  24. Perand,Marco Gioseppe 1625
  25. Praetrius,Michael 1571
  26. Regnart,Jakob 1540
  27. Scandellus,Antonius 1517
  28. Schuetz,Heinrich 1585
  29. Senfl,Ludwig 1490
  30. Stoltzer,Thomas 1480
  31. Vetter,Daniel 1657
  32. Vreedman,Sebastian 1542
  33. Zirler,Stephan 1518

我が家には、この半分程度しかCDがない。コレクションとしては古い時代ほど厚い気がする。新しくなるほど、出版事情もよくなるので、所有していても自慢しにくいのかもしれない。何人かの友人が、ブラームスが得意げにコレクションを見せてくれたことを証言している。

2018年1月18日 (木)

コピイストたるブラームス

ブラームス自身がルネサンスやバロックの作品を写譜している。立身出世を遂げてからは、興味の対象は古楽譜の収集に移行するのだが、若いころは熱心に写譜している。それをクララやヨアヒムに贈り、贈られた2人が律儀に保存していたという寸法だ。

ブラームスの写譜の対象になった作曲家をアルファベット順に列挙し、生年を添える。

  1. Arthopius,Balthasar 1535
  2. Attaingnant,Pierre ?
  3. Bach,Wilhelm Friedeman 1710
  4. Calvisius,Sethus 1556
  5. Crueger,Johannes 1598
  6. Eccard,Johannes 1553
  7. Erythraeus,Gotthard 1560
  8. Gesius,Nartholomaeus 1560
  9. Hassler,Hans Leo 1564
  10. Ingegneri,Marc'Antonio 1545
  11. Isaac,Heinrich 1450
  12. Lotti,Antonio 1667
  13. Luther,Martin 1483 宗教改革のルター。
  14. Palestrina,Giovanni Pierluigi 1525
  15. Praetrius,Hieronimus 1560
  16. Praetrius,Michael 1571
  17. Rovetta,Giovanni ?
  18. Schein,Johan 1586
  19. Steuerlein,Johann 1546
  20. Walter,Johann 1496

写譜された時期はいずれも1850年代。二十歳そこそこのブラームスの興味がこれら作曲家に向いていたということだ。この事実を踏まえると、ブラームスネタそっちのけでバロック特集に走ってもけして叱られることはないと確信する次第だ。

2018年1月17日 (水)

そもそも131本

今年の元日に始まった「バロック特集」の中心はバッハである。バッハはこれまでブログ「ブラームスの辞書」上で特集されていなかった。にもかかわらず、昨年末の時点でカテゴリー「301バッハ」には131本の記事が堆積していた。

特集という形態を借りることまではいかなくても、折に触れてバッハに言及していたということだ。ブラームスの個性を浮き彫りにしようと試みるときの有力な切り口がバッハだからである。思えばこれはすごいことだ。

ブラームスの人物像作品群を語る切り口あるいは、証言者としては、シューマン夫妻、ヨアヒム、ジムロック、ドヴォルザーク、ビスマルク、ワーグナーなどがすぐに思い浮かぶが、これらは皆ブラームスと同世代か、少なくとも同時に生きていた。

バッハはブラームス生誕の83年前に亡くなっていたことを思うと、どれほど異例かわかる。口先だけで「バッハを尊敬していた」と唱えるのは簡単だが、ブラームスはその経歴や言動、はては作品の中に色濃くバッハが息づいている。

ブログ「ブラームスの辞書」の記述にその異例さが反映していることをうれしく思う。

2018年1月16日 (火)

バッハ研究史略年表

19世紀がバッハ復興の世紀だったことはよく知られているし、また語られている。それらとブラームスの動きを整理するために略年表を作成しておく。

  • 1750年 バッハ没
  • 1802年 フォルケル「バッハ伝」出版。
  • 1829年 メンデルスゾーン 「マタイ受難曲」蘇演。
  • 1833年 ブラームス出生
  • 1848年 ブラームス初演奏会 バッハのフーガを演奏
  • 1850年 バッハ協会発足
  • 1851年 旧バッハ全集第一巻刊行
  • 1862年 ブラームス、ウィーンデビュウの演奏会でBWV540を弾く。
  • 1855年 クララ ブラームスに旧バッハ全集第一巻を贈る。
  • 1873年 シュピッタ「バッハ伝」第一巻刊行
  • 1875年 ブラームス、ブライトコップフ社から「旧バッハ全集」の校訂者のオファーを固辞。
  • 1877年 シャコンヌのピアノ左手用編曲。
  • 1879年 ブラームス、トマスカントル就任のオファーを固辞。
  • 1880年 シュピッタ「バッハ伝」第二巻刊行
  • 1881年 ブラームス旧バッハ全集に編集に参画
  • 1882年 ブラームス、ブライトコップフ社から「旧バッハ全集」の校訂者のオファーを固辞。
  • 1897年 ブラームス没
  • 1899年 旧バッハ全集完結

2018年1月15日 (月)

教会からの離脱

ブラームスは、ウイーン楽友協会芸術監督の座にあったこともあって、バッハの宗教作品を何度か上演している。それぞれの演目は、キリスト教の祝日に合わせて作曲されているので、以下にそれを列挙する。移動祝日もあるので2018年の暦を付記しておく。

<BWV4>復活祭当日 4月1日

  1. 1858年秋 デトモルト
  2. 1873年3月23日 ウィーン

<BWV8>三位一体節後第16主日 9月16日

  1. 1873年4月6日
  2. 1873年4月8日

<BWV21>三位一体節後第3主日 6月17日

  1. 1857年秋 デトモルト
  2. 1867年11月7日 ウィーン

<BWV34>復活祭当日 4月1日

  1. 1875年1月10日 ウィーン

<BWV50>第天使ミカエルの祝日 9月29日

  1. 1873年12月7日 ウィーン

<BWV60>三位一体節後第24主日 11月11日

  1. 1873年12月7日 ウィーン

<BWV244> マタイ受難曲 

  1. 1875年3月25日 ウィーン

<BWV248> クリスマスオラトリオ

  1. 1864年3月20日 ウィーン
  2. 1874年4月19日 ウィーン

見ての通りだ。ウィーン楽友協会音楽監督として、シーズンのプログラムを決定する際、演目にバッハの宗教曲を選んでいながら、本来の用途通りの日に演奏しているわけではなかった。わずかにBWV4とマタイ受難曲だけが、復活祭近くに演奏されている。さすがに復活祭当日にコンサートははばかられたか、復活祭前1週間程度なら、復活祭を意識したと考えられるが、他の演目は全くこだわっていない感じがする。

バッハのカンタータが本来の作曲意図から外れ、純粋な音楽作品としてプログラムに取り込まれたと関さざるを得ない。

2018年1月14日 (日)

カンタータ上演の実績

ブラームスは、ウイーン楽友協会芸術監督の座にあったこともあって、バッハの宗教作品を何度か上演している。本日はそれらを一覧化する。

<BWV4>

  1. 1858年秋 デトモルト
  2. 1873年3月23日 ウィーン

<BWV8>

  1. 1873年4月6日
  2. 1873年4月8日

<BWV21>

  1. 1857年秋 デトモルト
  2. 1867年11月7日 ウィーン

<BWV34>

  1. 1875年1月10日 ウィーン

<BWV50>

  1. 1873年12月7日 ウィーン

<BWV60>

  1. 1873年12月7日 ウィーン

<BWV244> マタイ受難曲

  1. 1875年3月25日 ウィーン

<BWV248> クリスマスオラトリオ

  1. 1864年3月20日 ウィーン
  2. 1874年4月19日 ウィーン

ブラームスのバッハ好きがあってこそ、心置きなくバッハにのめりこめる。

2018年1月13日 (土)

生シャコンヌ

一昨日、古澤巌先生のリサイタルに行ってきた。

演目はバッハ。無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番と第2番。休憩をはさんで無伴ヴァイオリンのためのパルティータ第2番。アンコールに無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番から第3曲。

何から話そう。

すごかった。言葉を尽くしたところで、私の筆力の限界をさらすだけだ。

1980年12月14日

千葉大学管弦楽団第48回定期演奏会。

千葉県文化会館。指揮:芥川也寸志。

チャイコフスキー:イタリア奇想曲、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第6番「悲愴」

私は大学3年だった。大学にはいって始めたヴィオラだというのに、このときパートリーダーデビュウだった。若造には荷の重いオールチャイコフスキープログラムだ。

で、ヴァイオリン協奏曲で、独奏ヴァイオリンを弾いてくれたのが、古澤巌先生その人だった。

夏合宿にもおいでいただいた。本番までに何度か練習にお付き合いいただいた。西千葉の駅前で焼き鳥をごいっしょしたこともある。気さくな人柄でドアマチュアとのバカ話にも難なく打ち解けてくださった。

チャイコフスキーのコンチェルトの第2楽章には、独奏ヴァイオリンの主旋律に、弱音器付きのヴィオラがオブリガートをかます場面がある。ヴィオラのパーリーとして、手を伸ばせば届く距離にいた独奏の古澤先生と交わしたコンタクトは生涯の宝だ。

一昨日はこのとき以来37年ぶりの先生の実演だった。プログラムが無い代わりに自らマイクをとってのトーク語りかけが本当に本当に実直で心にしみた。そうしたトークとキレッキレの演奏との落差がこれまた最上の癒しになっていた。

バッハへの敬意が充満する演奏。2曲あるソナタの第3楽章、それからアンコールにもあったアンダンテこそが古澤節の真骨頂だと思った。

シャコンヌを生で聴いたのは初めてだ。目の前で弾かれてみて、作品のすごさがわかった。この内容をヴァイオリン一本でと志すバッハのすごさを思い知られたとでもいうのか。目の前の実演というインパクトは無限だ。ヴァイオリン奏者の息遣い、ボデーアクション、魔法のような弓の操り。

なんだか力がもらえた。開幕したばかりの「バロック特集」をやり抜く力が、腹の底から涌いてきた。

2018年1月12日 (金)

江戸時代メーター

バロック音楽の時代は長い。定義のあいまいさなどあちこちでブーイングされながら廃れずに使われているのだから便利だということだ。バロックの時代は江戸時代前半とほぼ重なるということで、生年をキーに時代観を整理する。徳川家康から慶喜までの、日本の著名人と併記することでイメージしやすくなる。

  • 1564年 徳川家康①/ハンスレオハスラー
  • 1567年 クラウディオモンテヴェルディ
  • 1579年 徳川秀忠②
  • 1585年 ハインリヒ・シュッツ
  • 1604年 徳川家光③
  • 1623年 ハインリヒ・シュメルツァー
  • 1628年 水戸光圀
  • 1632年 ジャンバティスト・リュリ
  • 1637年 ディートリヒ・ブクステフーデ
  • 1644年 松尾芭蕉/ハインリヒイグナーツフランツフォン・ビーバー
  • 1648年 徳川綱吉⑤
  • 1649年 ヨハンフィリップ・クリーガー
  • 1651年 徳川家綱④
  • 1653年 近松門左衛門/アルカンジェロ・コレルリ/ヨハン・パッヘルベル
  • 1657年 新井白石/ジョゼッペ・トレッリ/フィリップハインリヒ・エルレバッハ
  • 1659年 大石内蔵助/ヘンリー・パーセル
  • 1668年 フランソワ・クープラン
  • 1671年 トマソ・アルビノーニ
  • 1678年 アントニオ・ヴィヴァルディ
  • 1681年 ゲオルク・フィリップ・テレマン/ヨハン・マッテゾン
  • 1683年 ジャン・フィリップ・ラモー
  • 1684年 徳川吉宗⑧/ヨハン・ヤーコプ・ワルター
  • 1685年 JSバッハ/GFヘンデル/Dスカルラッティ
  • 1687年 フランチェスコ・ジェミニアーニ
  • 1690年 フランチェスコ・マリア・ヴェラチーニ
  • 1692年 ジョゼッペ・タルティーニ
  • 1695年 ピエトロ・ロカテッリ
  • 1697年 ジャン・マリー・ルクレール
  • 1710年 WFバッハ
  • 1718年 CPEバッハ
  • 1732年 フランツ・ヨーゼフ・ハイドン
  • 1745年 伊能忠敬
  • 1750年 -----------バッハ没ーーーーーーーーーー
  • 1756年 WAモーツアルト
  • 1770年 ベートーヴェン
  • 1773年 徳川家斉⑪
  • 1797年 歌川広重/シューベルト
  • 1809年 メンデルスゾーン
  • 1810年 ショパン/シューマン
  • 1813年 ワ-グナー/ヴェルディ
  • 1815年 ビスマルク
  • 1819年 クララ・シューマン
  • 1828年 西郷隆盛
  • 1833年 ブラームス
  • 1834年 坂本龍馬
  • 1837年 徳川慶喜⑮

いやいや楽しい。

2018年1月11日 (木)

カンタータ研究

書物の名前だ。正確には「バッハ カンタータ研究」という。樋口隆一著で、音楽之友社刊行。400ページを超える分厚い本だ。

バッハのカンタータ研究書という体裁ながら、歴史の視点が常に著述の中枢にある。研究史。受容史、演奏史の側面が、おそらく意図的に強調されている。

カンタータを中心据えながらも、必要に応じてバッハ全般への拡大逸脱も厭わない。本当に本当に興味深い。

何よりも特筆すべきは400ページ超の大著の397ページ以降の15ページ少々が「ブラームスと19世紀のバッハ研究」と題されている。この15ページのために5200円を嬉々として支出した。

そこでは冒頭いきなり「ロマン派の大作曲家の中でブラームスは異彩を放つ」と大胆に断言する。以下その理由が詳細な資料を添えながら論述される。ブログ「ブラームスの辞書」が一年を超える期間、悠然とバッハに逸脱する理由は、それだけで十分だ。

2018年1月10日 (水)

卒論コンプリート

昨日が次女の卒論提出締め切り日だった。

20000字を課された卒論を無事に提出したようだ。

昨年11月以降ワープロを使った清書が本格化していた。我が家に一台しかないパソコンを次女が独占することが増えた。私のコックピットを明け渡していたということだ。その間ブログ「ブラームスの辞書」の記事執筆や管理がパソコンでできなくなった。不自由は感じたが、むしろ音楽を聴けなくなったことの方が影響は大きかった。

おめでとう。

2018年1月 9日 (火)

西暦2050年

昨日の記事で下記の通り西洋音楽史の「150年周期説」に言及した。

  1. 850年 グレゴリオ聖歌 現存する最古の楽譜
  2. 1000年 多声音楽
  3. 1150年 ノートルダム楽派
  4. 1300年 アルスノヴァ
  5. 1450年 ルネサンス音楽
  6. 1600年 バロック音楽
  7. 1750年 古典派・ロマン派
  8. 1900年 現代音楽

今我々は1900年に始まった150年の中にいる。それが終わる2050年に音楽はどうなっているのだろう。後世の歴史家はこの150年をどう評価するのだろう。「現代音楽」という表札を疑わずにいるのだが、そのころ今の音楽を「現代音楽」とは呼ぶまい。

1900年に始まる150年の終わる17年前にブログ「ブラームスの辞書」はゴールラインを設定している。そのころクラシック音楽が一言で定義可能な秩序の中にいるのか、はたまた混沌が支配しているのか興味深い。

ブログ「ブラームスの辞書」が2050年の節目を迎えられるのかどうかノーチャンスではないと思う。

2018年1月 8日 (月)

150年周期

統計上、大地震には周期があるとも言われている。彗星の接近はもっと確度が高い。地球の自転公転による周期には慣れっこの人類も、長い周期となると曖昧なことも多くなる。

西洋音楽史の書物を紐解くと「150年周期説」に行き当たる。

  1.   850年 グレゴリオ聖歌 現存する最古の楽譜
  2. 1000年 多声音楽
  3. 1150年 ノートルダム楽派
  4. 1300年 アルスノヴァ
  5. 1450年 ルネサンス音楽
  6. 1600年 バロック音楽
  7. 1750年 古典派・ロマン派
  8. 1900年 現代音楽

という具合だ。古典派とロマン派はひとまとまり扱いになっている。1750年のバロックのエンディングはバッハの没年というところのもっともらしさが目立つ。偶然の一致として一笑に付すのは自由だなどと思っていたのだが、1900年のロマン派の終焉をブログ「ブラームスの辞書」流に読み替える。

1897年のブラームスの死こそが、ロマン派の終焉であると。

1827年のベートーヴェンの死は、古典派の終焉であったかと、妄想も膨らむ。ドイツ史観に立てば、3大Bの死は、バロック、古典派、ロマン派の死であるとの再定義が可能だ。

2018年1月 7日 (日)

ドイツバロック

バロック音楽の提唱がドイツ人の都合だったこと述べておいた。言い方が悪ければ「バッハ復興運動の副産物」と言い換える準備はできている。

当時音楽の本場はイタリア。断固イタリア。ウィーンが「音楽の都」だと主張するのは、「ドイツ語圏においては」と補足するべきなのだ。力説しないとみんなにそう思ってもらえないからこその力説というありがちなパターン。そのウィーンでさえ主要な音楽ポストはイタリア人によって占められていたことは周知のとおりである。

バロック音楽をドイツ人が定義したとき、自国ドイツのほかにイタリアの動向だけは意識していたと解する。黙ってバロックといえばイタリアで、その時代のドイツの音楽を「ドイツバロック」という。

ドイツにけちをつける意図はない。ここ最近ブログ「ブラームスの辞書」での「バロック特集」を準備するにあたり楽譜やCDをあたってきたが、私の興味もまたイタリアとドイツに集中していた。初めはお決まりのヴィヴァルディだった。フランス、英国だって聞くには聞いたが集まったCDの顔ぶれだけ見てもイタリアとドイツへの偏りは明らかだ。

大切なことは、ドイツバロックが気に入っているということだ。国で言うならドイツ、楽器で言うならヴァイオリン、チェンバロ、ヴィオラダガンバ一部オルガン。この価値観の中で収穫された作曲家たちはおよそ以下の通りだ。

  1. フローベルガー
  2. シュメルツァー
  3. ブクステフーデ
  4. ビーバー
  5. クリーガー
  6. パッヘルベル
  7. エルレバッハ
  8. テレマン
  9. ヴァルター
  10. ピゼンデル
  11. ヘンデル
  12. バッハ

2018年1月 6日 (土)

バロック音楽の提唱

「バロック音楽」の定義の文献上の初出は、1919年だといわれている。クルトザックスというドイツの音楽学者が提唱したとウイキに書かれている。

「マジっすか」という感じがする。イメージよりは新しい。元来はある様式を想定して定義されているが、「身長180cm以上の男子」というよう明晰な定義ではないこともあって、論争のもとになってきた。フランスには「バロック音楽」はないとまで言われるありさまだ。「梅雨」のない北海道みたいだ。

で、様式としての定義の厳密さはあきらめて「1600年からおよそ150年間の音楽」という具合の時代用語に転換を遂げたということだ。使い勝手だけは妙にいいから、定着している。

ドイツの音楽学者の発案というのがまずもってあやしい。19世紀後半のドイツを席捲したバッハ復興の流れの集大成として20世紀初頭に提唱されているのだとひとまず理解した。音楽におけるドイツアイデンティティ確立運動の成果だ。だから普仏戦争、第一次世界大戦と続いた世代にあって敵国フランスなんぞ見ちゃいないのだ。その150年間各国に音楽がそれぞれあって独自の発達を遂げていたと解するほうがなんぼか自然だ。4世紀中ごろのヤマト政権による国土の統一を既成事実として、遺跡遺物文献の解釈をそれに合わせるかのようだ。どこかにひずみが出る。

やっとたどり着いた。ドイツバロックは「1600年から1750年までのドイツの音楽」と再定義する。愛するブラームスの興味はそこにあった。残された古楽譜のコレクションからそう推定できる。

一方時代定義に従えば、バッハ存命時はまさにバロック音楽の時代の結尾にあたるのだが、ご本人にも周囲にも「バロック音楽」という概念などなかったはずだ。つまりバッハ本人はバロック時代の集大成などとは思ってはいるまい。書きたい音楽を書いただけだ。

まさに後世の都合だ。

2018年1月 5日 (金)

音楽の本場

ここで申す音楽とは、いわゆる「西欧クラシック音楽」のことだ。「西欧」と冠されてはいるのだが、今や世界的な広がりをもっていること周知の通りである。大航海時代には、スペイン、ポルトガル。オランダ、英国、フランスが続き、やがてドイツもこれに追随した。第一次大戦後アメリカの台頭までの間、欧州が世界の覇権を握っていた関係で、クラシック音楽も世界に拡散した。

しからばその「西欧クラシック音楽」の本場はと問われれば、ズバリイタリアという答えにたどりつく。イタリア地方の民族音楽が世界を席巻したと思っていい。キーワードは教会とオペラだ。やがて同地方の民族的な弦楽器だったヴァイオリン族がその優秀な表現力と合奏効果によって器楽までも台頭する。

対ナポレオンによって民族主義に目覚めた西欧各国、とりわけ植民地支配に乗り遅れたドイツは、自己のアイデンティティ確立のために、各方面で画策に走る。本場イタリアから見ればドイツ地方の国民楽派に過ぎないドイツ音楽が、西欧クラシックの総本山であるかの印象操作が急速にひろまった。音楽室の肖像画にドイツ語の話し手が多いのはそのせいた。

ウィーンを「音楽の都」と解するのはドイツ語圏の都合だ。「音楽の都」という文言の前に「ドイツ語圏の」という形容が無意識に、あるいは半ば意図的に脱落したと解したい。そのウィーンでさえ、モーツアルトやサリエリの時代まで音楽上の要職はイタリア人が独占していたし、オペラと言えば「イタリア語」が常識だった。何よりも何よりも、楽譜上に記される用語はイタリア語ではないか。

オペラで拮抗することをあきらめたドイツ人は歌曲に走る。ドイツリートだ。そして器楽ではソナタだ。ソナタ形式を至上の形式の座に祭り上げる。あらゆるジャンルの合奏にソナタ形式をばらまいた。モーツアルト、ハイドン、ベートーヴェンの才能がこの流れを後押ししたことご承知の通りだ。

その流れの終点にブラームスがいる。ソナタ形式最後の使い手であるブラームスが、イタリア音楽、とりわけオペラに関心をもっていたことや、ルネサンス以降の古いイタリアの楽譜の熱心な収集家だったことは象徴的だ。彼は音楽の本場はイタリアだと知っていた。だから楽譜上の用語はイタリア語にこだわった。

2018年1月 4日 (木)

テーマ絞り込み

「バロック音楽」という概念が何かと物議をかもすというのに、抜け抜けと「バロック特集」を立ちあげると宣言した。ブラームス自身が16~18世紀の音楽に興味を持っていたことをよりどころに、臆面もなくだ。

とはいえ、「バロック音楽」は広い。年代的にもジャンル的にもえらく広範囲だ。私のやれることは限られている。バロック音楽の一部をかするだけだ。

ジャンルとしては器楽とりわけヴァイオリン。必要に応じて鍵盤楽器にも触れる程度。声楽作品はひとまず限定的としておくが、とりわけオペラは全滅だ。カンタータには、まれに言及することもある。

地域としてはドイツとイタリア。バロックといわれる150年間を通じてイタリアは音楽の本場でありつづけた。

2018年1月 3日 (水)

今年もよろしく

年始にはよく見かけるフレーズ。「ことよろ」と略されたりもする。ブログ「ブラームスの辞書」は、13回目の正月にして初めて「今年もよろしく」という記事をアップする。これが元日ではないというのは一見不可解にも見えるだろうが、実は肝でもある。

本日のこの記事はブログ「ブラームスの辞書」開設から4649本目の記事である。「4649」の語呂合わせで「よろしく」というわけだ。4649本目の記事が正月の3日に来るというのは、なかなかの奇遇。これを記事にしない手はない。今日を逃がすと永遠に記事にできない。

どうか「バロック特集」をよろしく。

2018年1月 2日 (火)

私のバッハイヤー

生誕333年を無理やりバッハイヤーに仕立てている。1685年生まれのバッハだから、生誕350年はともかく、400年までさすがに生きてはいるまい。2050年の没後300年も同様だ。2020年に生誕335年とか2025年に生誕340年とかで盛り上がるよりは333年の方が数字の語感としてシャープな感じがしている。

理由がもう一つ。来年2019年はクララ生誕100年だ。だからクラライヤーと位置付けてささやかな企画を予定している。2018年をバッハで過ごし、2019年にクララを扱うのは、ブラームス系ブログのありようとして美しい。そして2020年は私自身の定年とオリンピックだ。

またとない進行。

2018年1月 1日 (月)

バロック特集

本日からバロック特集を立ち上げる。なぜ今年バロック特集なのかは、企画の中でおいおい明らかにする予定である。ひとまず今年はバッハ生誕333年である。同い年のヘンデルやスカルラッティもいる上に、ヴィヴァルディ生誕340年にもなっている。

ブラームスはバッハやヘンデルに興味をもっていた。ヴィヴァルディも当然知っていた。16~18世紀の古楽譜のオタクな収集家でもあった。ブラームスの伝記の中にはロマン派19世紀末の作曲家としては、異例なくらいバロック時代の作曲家への言及がある。

ブログ「ブラームスの辞書」が、本尊のブラームスそっちのけで、バロックを特集したとしても、ブラームスのご加護は変わらないと確信している。

さらには、本日この記事を公開したことにより、ブログ「ブラームスの辞書」は2005年5月30日の開設から4600日連続記事更新となる。

あけましておめでとうございます。

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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