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2018年1月22日 (月)

同じ土俵としてのコラール前奏曲

そもそもの話として「コラール前奏曲」とはなんぞやという問いを議論しておきたいが、実はかなり複雑で私ごときの手には余る。会衆や聖歌隊が教会で歌うコラールの前にオルガンで示される音取りを兼ねた小品というくらい。形式的には、コラールの定旋律がほのめかされる。コラールのオルガン伴奏とは厳に区別される。

プロテスタント系の音楽史上では避けて通れぬ歴史がある。サムエル・シャイトが17世紀前半にその規範を示して以降、プロテスタント圏内で発展を遂げる。ブクステフーデ率いる北ドイツとパッヘルベル率いる中部ドイツで特色ある発展を遂げたあと、バッハがさらに統合発展させた。

同じコラールをベースに複数の作曲家がコラール前奏曲を仕上げることもあった。

ブラームスは人生の終盤に差し掛かって「オルガンのための11のコラール前奏曲」op122を作曲した。クララ没後に自らの死さえ予見しながらだ。

これがどんだけすごいことか。

おかげで、バッハよりさらに数世代遡るドイツ音楽の巨星たちと同一のジャンルで比較することが出来る。バッハ以前のメンバーは教会を職場にしていたから、本当にコラールの前に演奏するためのものだったが、ブラームスではその側面は薄れ、事実上「コラール〇〇の主題によるオルガンのための変奏曲」という位置づけになっている。ブラームスは「コラール前奏曲」というジャンルの歴史的意義を深く認識していながら、実演の可能性を棚上げにして、あえて同じ形態を世に問うた。創作人生の最後にだ。

これを「バロック音楽への没入」と称してどれほどの誤謬を含むことになるのだろう。op122にちなんで1月22日の公開だ。

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