民謡と賛美歌
ブラームス本人が「民謡」を愛してたこともあってブログ「ブラームスの辞書」では、かつて民謡特集を展開したことがある。そして賛美歌に親しんでいる今、民謡と賛美歌は、庶民生活を両面から映す鏡だと実感し始めている。
賛美歌では取り上げられることのない個人の事情「恋」「失恋」「結婚」「別れ」「子供」「旅」「狩」「労働」「わらべ歌」などなどをいきいきと反映する民謡は、賛美歌とともに生活の両輪を形成していると感じる。いわば「聖と俗の両輪」だ。そこに学生歌を補助輪として加えてもいいだろう。これに加えるとすれば行進曲を含む「軍歌」くらい。
民謡同様、賛美歌もテキスト旋律とも作者がしばしば忘れられる。教会が関与し、印刷物として出回る分だけ民謡に比べれば記録に残る確率は高いが、作者不詳は珍しいことではない。
民謡と賛美歌の間では、しばしば旋律の相互乗り入れが起きる。「別テキスト同旋律」は賛美歌間では珍しくないが、民謡賛美歌間でも起きている。賛美歌を元にして別テキストをあてる替え歌は日常茶飯だったに決まっている。また市井に美しい旋律があれば、ふさわしいテキストを付与するのは賛美歌の常とう手段だ。
民謡ラブのブラームスが、そこに気づかぬはずはない。
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