父として
ヨハン・セバスチャン・バッハは音楽史に名を残す息子4人に恵まれた。
- 長男 ウイルヘルム・フリードリヒ
- 次男 カール・フィリップ・エマニュエル
- 七男 ヨハン・クリストフ・フリードリヒ
- 九男 ヨハン・クリスチャン
彼等の最初の教師は父である。周知の通りバッハのクラヴィーア作品の中でいわゆる教育的作品は大きな柱の一つとなっている。
- 平均律クラヴィーア曲集
- インヴェンションとシンフォニア
上記がその代表だ。このほかに当時9歳になった長男ウイルヘルム・フリーデマンのための教材として使われた作品が「ウイルヘルム・フリーデマンのための音楽帳」として伝えられている。この音楽帳には、上記2つの曲集に含まれる作品がよりオリジナルな形で記載されている。
インヴェンションの15番ロ短調は、学問的には「インヴェンション・フーガ」と分類されている。オリジナルは「ウイルヘルム・フリーデマンのための音楽帳」に載っている。この曲は「ほとんどフーガのような作品」なのだ。「ほとんど」というのには訳があって、厳密なフーガの定義からははずれているという。フーガには「冒頭で主題が提示される時には、ベースラインを伴ってはならない」という決まりがある。先のインヴェンション15番は、冒頭の主題提示がベースラインを率いているのだ。だからフーガとは言えないが、内容は厳格なフーガだ。初心者の息子たちにフーガの主題のベースラインをさりげなく明示するバッハの暖かな視線を感じる。フーガの禁則と承知の上での話である。実は「インヴェンション・フーガ」というジャンルは、一部禁則違反を含むフーガたちなのだ。父親たるバッハの心遣いと感じる。
ブラームスは、生涯独身を貫いた。もし良き伴侶に巡り会って子供をもうけていたら、きっと音楽を教えたと思う。
- 街で出会う子供たちにお菓子を与えることを楽しみにしていた等、子供がらみのほほえましいエピソードが多い。
- 鉛の兵隊ごっこが好きで、大人になってからも大事にしていた。
- シューマンの子供たちのとの暖かな交流。
- とりわけ自分が名付け親になったシューマンの遺児フェリクスに対する細やかな心遣い。
- ピアノのための51の練習曲を筆頭に、いくつかのピアノ練習曲を遺している。
- シューマンの子供たちのために「子供のためのドイツ民謡」を遺している。
これらが私がそう考える根拠だ。そして子供が女の子であってもキチンと教えたと思う。
そして何より知人の出産を祝った子守歌op49-4があんなに素晴らしいのだ。自分の子供への子守歌だったら、さぞやと想像するばかりである。
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