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2018年7月 8日 (日)

ハインリッヒ・ヘルツォーゲンベルク

Heinrich von Herzogenberg(1843-1900)グラーツで生まれたオーストリアの作曲家。

彼の愛妻リーズルは、ブラームスから贈られた作品の草稿をもとに、しばしば鋭い批評を展開しブラームスを喜ばせた。晩年のクララは、自分の優先順位が下がったと感じヘソを曲げたとも言われている程だ。

op69以降の諸作品について議論した2人の往復書簡は、研究家垂涎の第一級の資料になっている。ブラームスは彼女の批評を元に作品を改訂したことは滅多になかったが、批評を乞うことを止めようとはしなかった。彼女とのやりとりそのものが楽しかった感じである。

彼女との文通で厄介なことが一つだけあった。ブラームスが作品を送ると、ときどき亭主ハインリッヒの作品が送られて来ることだった。もちろんコメントを求められているのだ。出来る限りスルーを決め込んでいたブラームスだが、やむにやまれず不器用なコメントを返した。対位法の大家ブラームスといえどもこれは難儀だったと見えて、リーズルの機嫌を損ねないでやり過ごすのに汲々としてしていたらしい。

ブラームスは楽譜を見ただけで作品の価値をたちどころに見抜いていたし、その作者の才能の奥行きまでも読み切っていたことは疑い得ない。称賛ばかりがとどまらぬドヴォルザークとハインリッヒの差は歴然である。

そうはいっても、彼は記念碑委員会の発起人の一人であり、ライプチヒ・バッハ協会の芸術監督まで務めた大物だ。ブラームスがライプチヒ訪問の度に夫妻に会っていたくらいの関係である。

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