記念碑委員会
記事「バッハの街」で紹介した本の話題。巻末に人名索引がある。そこにブラームスがたった一度だけ出てくる。228ページに駆け込むとそこはライプチヒの項目。バッハ臨終の地で、生涯を捧げたトマス教会の所在地。
ハッハ没後100年の1850年にバッハ記念碑造営の計画が持ち上がり、1869年になって記念碑設置委員会が組織されたという。発起人の一人がブラームスの友人のハインリッヒ・ヘルツォーゲンベルクというより、リーズルの夫だ。だからという訳でもなかろうがブラームスは組織委員会に関与し始めたという。
言及はここ一箇所だが、何だか嬉しい。モーツアルトもベートーヴェンも、ワーグナーも言及がない。メンデルスゾーンやシューマンに混じってブラームスはバッハ本の常連なのだ。
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