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    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

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2018年8月31日 (金)

バロック特集総集編④

7月8月の総集編をお送りする。

  1. 07月01日 ブラームスの弾いたオルガン
  2. 07月02日 マリア訪問の日
  3. 07月03日 心を弾ませ
  4. 07月04日 バッハの街
  5. 07月05日 ストップリスト
  6. 07月06日 五十音順の奇跡
  7. 07月07日 ハインリヒ・ヘルツォーゲンベルク
  8. 07月08日 大出費
  9. 07月09日 照る山もみじ
  10. 07月16日 現代の潮干狩り
  11. 07月17日 Per eco in lontano
  12. 07月19日  今こそ声あげ
  13. 07月20日 第二次ウィーン包囲
  14. 07月21日 無伴奏ヴィオリンのためのファンタジー
  15. 07月22日 虫のCD
  16. 07月23日 須賀ハリストス教会
  17. 07月24日 華麗なるアンサンブル
  18. 07月25日 Food,Wine&Songs
  19. 07月28日 大奇遇
  20. 07月29日 伊豆の3B
  21. 08月01日 オルガン版トッカータ
  22. 08月02日 オルガン名曲集
  23. 08月03日  バッハの旅路
  24. 08月04日 バッハの旅支度
  25. 08月05日 バッハの五十三次
  26. 08月06日 初日長丁場
  27. 08月07日 ミュールハウゼン
  28. 08月08日 3日目の宿
  29. 08月09日 4日目の宿
  30. 08月10日 ノルトハイム
  31. 08月11日 ハルツの西
  32. 08月12日 7日目の宿
  33. 08月13日 ブラウンシュヴァイク
  34. 08月14日 シュパーゲル街道
  35. 08月15日 観光街道
  36. 08月16日 Uelzen
  37. 08月17日 Luneburg
  38. 08月18日 エルベの渡し
  39. 08月19日 塩の道
  40. 08月20日 来たぞリューベック
  41. 08月21日 旅は半ば
  42. 08月23日 旅のコラボ
  43. 08月24日 旅のテーマ
  44. 08月28日 8月という制約
  45. 08月29日 バロック旅行 
  46. 08月30日 くるむ
  47. 08月31日 本日のこの記事

2018年8月30日 (木)

くるむ

私の造語。某有名旅行情報誌のネーミングをパロった。

「聴」「乗」「飲」の語尾をこの順につなげたものである。今回のドイツ旅行のコンセプトを一言で言い表す機能がある。本家はたしか「見る」「食べる」「遊ぶ」だったと思う。

「聴く」は演奏会だ。8月一般ホールの音楽的イベントは全滅の中、教会でのオルガンコンサートだけは活発に行われていた。計4回それも、ライプチヒ、ハンブルク、リューベックの由緒正しい教会での生オルガン演奏にありつけた。

「乗る」は鉄道だ。ジャーマンレイルパス10日用を乗りつぶすというコンセプトだ。

「飲む」は言わずもがなのビール。ワインにはあえて目をつむってビールに的を絞った。瓶入りや缶入りはお断りの「樽ナマ縛り」でもあった。

音楽はもちろん「聴く」ばかりではなかった。墓参がその代表だ。作曲家が生きた現地の空気を吸うことも加えていい。同様に鉄道は「乗る」ばかりではないし、ビールも「飲む」ばかりではなかったことは、おいおい記事の中で明らかにしていきたい。

2018年8月29日 (水)

バロック旅行

三回目のドイツ旅行からの帰国の3日後から、旅のレポートを発信している。これを放置すればブログ「ブラームスの辞書」が展開中の「バロック特集」と決定的なバッティングを起こす。

それに対する効果的な工夫があった。今回の旅のテーマに「ドイツバロック」を据えるということだ。記事「コラダス」の中で言及した4名バッハ、ブクステフーデ、パッヘルベル、テレマンの墓参だった。わずか9泊11日の旅程に、この4名の墓参を無理やりねじ込んだ結果、旅のレポートが、バロック特集に継ぎ目なくなじむ。

テーマとしての音楽は、大きく2つに割れる。ひとつは「ドイツバロック」であり、もう一つは言わずもがなの「ブラームス」だ。

2018年8月28日 (火)

8月という制約

老いたとはいえ、まだサラリーマンだから、まとまった休みを取ろうと思えば、盆か正月になる。かすかに5月の連休という手もあるにはあるけれど、今回の旅行は8月に落ち着いた。

今まで3度の欧州訪問では、夏は空白だった。ドイツを満喫するには一番の季節ではあるのだが、2点だけ課題があった。一つはサッカーのシーズンオフだということ。ファンショップをうろつく程度でお茶を濁す。2つめは演奏会もオフだということだ。楽員たちはバカンスである。8月の公演予定は閑古鳥である。運が良くてフィルムコンサートだ。生は無理。

ところが、ここに貴重な例外がある。教会のオルガンコンサートに4回接することができた。本当にありがたい。

2018年8月27日 (月)

レイルパス比較

欧州への旅行者に対する鉄道パスのうち、ジャーマンレイルパスを利用したと述べた。同様なサービスが日本にもある。「ジャパンレイルパス」だ。

価格はほぼ同等などと言っている場合ではなかった。日本版は東海道新山陽新幹線のフラッグシップ「のぞみ」に乗車できない。

旅客輸送人キロシェアで、ドイツと日本では雲泥の差がある。アウトバーンが無料のドイツでは鉄道の相対的な位置づけが低く、単純比較できないが、「のぞみ」に乗れないとは気の毒だ。鉄道を単なる移動手段として割り切れる人たちはそれでもよかろうが、鉄道そのものが目的の旅行者には物足りないはずだ。

2018年8月26日 (日)

ジャーマンレイルパス

欧州の旅行者にとってはありがたい鉄道チケット。今回はこれを初めて購入して、とことん使いつくした。1等使用で10日間435ユーロ。1ユーロ134円として58,290円。

20180709_204818

実績としておよそ2690kmを鉄道に乗車した。うち約1950kmがICEで残りが在来線だ。ただし、ハンブルクやライプチヒの市電や地下鉄は、この距離に含まれないから実質は2700kmに近づく。

2018年8月25日 (土)

プランマニア

一口に鉄道マニアと申しても、様々な形態に分類されることは周知の通りだ。「撮り鉄」「乗り鉄」「廃線」「時刻表」「ヘッドマーク」「音」「キップ」など。私自身は実は「プランマニア」だ。鉄道を使った旅行計画の設定が好きだ。今回はそういう意味ではうってつけだった。

20180822_201545
これが鉄道乗車のマスタープランだ。ドイツ滞在は9泊10日。ドイツ滞在10日間で鉄道に乗りまくる。ジャーマンレイルパス10日の有効期間内に使い倒すこともあって、周到に準備した。

2018年8月24日 (金)

旅のテーマ

20180411_074932

過去2回のドイツ旅行では鉄道の利用は下記の通り限定的だった。

  1. 前々回 ニュルンベルクとレーゲンスブルク往復
  2. 前回 ニュルンベルクとミュンヘンの往復

前回のハイライトだったプラハには鉄道を用いず、ニュルンベルクからバスを使った。だから今回は3度目の正直で鉄道にこだわった。かといって目的もなくただ鉄道に乗るだけでは芸がないので、「音楽」と「ビール」を切り口にした。そのことを端的に現すのがこの画像だ。

2018年8月23日 (木)

旅のコラボ

バッハ生涯最長の旅をブログ上でトレースする記事群は、私自身の過去最長の旅の期間と重なっていた。私自身がドイツを楽しむ11日間とバッハ最長の旅の記事発信を合わせたということだ。

バッハの旅の目的地リューベックは私の旅の目的地でもあった。

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↑夕暮れの聖マリエン教会(リューベック)

20180818_053947
↑早朝のホルステン門(リューベック)

既成のツアーではなく、自分で設計した旅だから、いろいろと盛り込むことができた。旅の報告記事が、展開中のバロック特集となじむための措置である。

さて何から話そうか。

2018年8月22日 (水)

3度目のドイツ

8月19日に3度目のドイツ旅行から帰国した。

9泊11日は今までで最長のドイツ旅行だ。日程は下記の通り。

<8月09日>

  • 羽田発 12時30分ANA217便 ミュンヘン着
  • ミュンヘン中央駅からICEでニュルンベルクに移動して宿泊。

<8月10日>

  • 午前 ニュルンベルク観光
  • 午後 ニュルンベルク観光
  • 夕方 ICEにてライプチヒに移動して宿泊。

<8月11日>

  • 終日ライプチヒ観光し宿泊。

<8月12日>

  • 午前 列車でネチュカウへ。ゲルチュタール橋見学。
  • 午後 ケストリッツ観光。
  • ライプチヒに戻って宿泊。

<8月13日>

  • 午前 早朝ICEにてアイゼナハに移動しワルトブルク城見学。
  • 午後 アイゼナハ市内観光して宿泊。

<8月14日>

  • 午前 早朝ICEにてハンブルクに移動。
  • 午後 ハンブルク市内観光して宿泊。

<8月15日>

  • 終日 ハンブルク観光し宿泊。

<8月16日>

  • 午前 早朝 列車で移動しリューベック観光
  • 午後 リューベック市内観光して宿泊

<8月17日>

  • 午前 早朝 列車で移動しフレンスブルク観光
  • 午後 レンズブルク橋観光してリューベックに戻る

<8月18日>

  • 午前 ICEにてフランクフルト空港に移動
  • 20時45分 ANA224便

<8月19日>

  • 15時 羽田着

2016年年末からの前回旅行は5泊7日だったが、そのレポート記事が85本になった。今回は時間的にも内容的にも格段に充実している。年内いっぱいを報告に費やす予定だ。

この記事をもってカテゴリー「004ドイツ旅行③」を立ち上げて一連の報告記事を集約する。

2018年8月21日 (火)

旅は半ば

若きバッハのリューベック訪問をブログ上たっぷり15日かけて再現した。希望に満ちた旅だったに違いない。バッハの生涯で最も長い行程であることは確実なのだが、忘れてはいけないことがある。

それは任地のアルンシュタットに戻らねばならないということだ。休暇を無断で延長しているから、帰路は心躍るという具合にはなるまい。

2018年8月20日 (月)

来たぞリューベック

本日最終日の行程

  1. 00.0 Behlendorf
  2. 05.0 Berkentin
  3. 04.0 Klempau
  4. 02.5 Keummesse
  5. 07.5 Rothebek
  6. 05.0 Luebeck

最終日24km。全443kmコンプリートだ。8月6日の出立から15日だ。4週間の休暇では心もとない。仮に全行程馬車で一日50km走っても9日かかる。もし4週間の休暇という申請を遵守するとしたらリューベック滞在は10日しか見込めない。

そうまでしてたどり着いたリューベックは、「バルト海の真珠」とたたえられ、現代では旧市街が丸ごと世界遺産だ。その中枢のマルクト広場に接してそびえたつマリエン教会こそが目的地だったはずだ。北ドイツ楽派の巨匠ブクステフーデがオルガニストとして君臨する街。

2018年8月19日 (日)

塩の道

本日の行程

  1. 00.0 Buechen
  2. 08.0 Hornbek
  3. 06.5 Breitenelde
  4. 05.5 Moelln
  5. 08.0 Behlendorf

28km。塩の大産地リューネブルクから塩積み出し港リューベックに輸送するための街道を北上するバッハだ。先に紹介した観光街道にも数えられている「Altesalzstrasse」である。塩は必需品としてハンザ同盟時代引く手あまたの交易の目玉だ。英国方面への北海へはハンブルク、バルチック海向けならリューベックへの出荷となる。ハンブルクへはエルベ川の船便だが、リューベックへは運河整備までは陸送だった。これが「塩の道」である。

2018年8月18日 (土)

エルベの渡し

本日の行程

  1. 00.0 Lueneberg
  2. 06.0 Elba
  3. 04.0 Brietengen
  4. 05.0 Artlenburg
  5. 06.0 Schnakenbek
  6. 06.0 Basedow
  7. 08.0 Buechen

エルベ渡河を含む35kmだ。実際の渡しは上記4のアルトレンブルクの北にある。川が増水していれば足止めを食うこともあるはずだ。

2018年8月17日 (金)

Lueneburg

本日の行程

  1. 00.0 Uelzen
  2. 14.5 Ebsdorf
  3. 07.5 Velgen
  4. 10.0 Melbeck
  5. 07.0 Lueneburg

本日のお宿リューネブルクは古来からの塩の産地だ。15歳のバッハは同地聖ミヒャエル教会の聖歌隊の一員となった。有給の仕事初めての就任だ。同地で元同級生と旧交を温めるというシーンがあったかもしれない。

リューベックからもハンブルクからも近い。バッハの足跡はとかく旧東独に偏りがちな中、ここは珍しく西側だった。

2018年8月16日 (木)

Uelzen

本日の行程

  1. 00.0 Hankensbuettel
  2. 04.0 Bottendorf
  3. 05.5 Bokel
  4. 08.0 Nettelkamp
  5. 09.5 Uelzen

相変わらずの湿地行27.0km。到着地「Uelzen」がうまくカタカナに転写できない。「バッハの街」記載の地名がまったくない一日。

2018年8月15日 (水)

観光街道

本日の行程

  1. 00.0 Gifhorn
  2. 03.5 Gamsen
  3. 05.0 Wangenhoff
  4. 03.0 Weissenberge
  5. 07.5 Oerrel
  6. 06.0 Hankensbuettel

「Niedersachsenischer Spagelstrasse」沿いを北上しているのだが、この辺りには「Muehle街道」や「Fachwerk街道」など、現代の観光街道が錯綜する。「Muehle」は水車で、「Fachwerk」とはこの辺りは特有の建築のことだ。

地図の上では北ドイツ特有の湿地の中をいく29.5km。バッハの当時はもっと湿地帯だったはずで、街道はそうした湿地の間を縫って走っていた。水車街道の存在もうなずける。「バッハの街」の地名列挙がまばらなのは、古来迷う余地のないルートだからだと確信する。

現在、ブログ「ブラームスの辞書」上で展開しているバッハの旅路をたどる記事そのままに、現実の観光街道にしてもらえないものか。鉄道普及前にだって人は旅をしていた。それが陸上だった場合、観光街道を設定する余地がある。「Bachstrasse」バッハ街道とでもすれば盛り上がる。鉄道普及後の作曲家たちはこのさい除外するとしてボンからウィーンを目指したベートーヴェンの足跡、生涯旅に明け暮れたモーツアルトは足跡が網の目状になるかもしれない。

2018年8月14日 (火)

シュパーゲル街道

本日の行程

  1. 00.0 Braunschweig
  2. 07.0 Ruhme
  3. 05.0 Thune
  4. 05.0 Meine
  5. 07.0 Isenbuettel
  6. 04.0 Gifhorn

いよいよここから現代の観光街道「Niedersachsenischer Spagelstrasse」沿いを北上する。「ニーダーザクセン・シュパーゲル街道」とでも訳せよう。「シュパーゲル」とはドイツの春の風物詩「白アスパラ」のことだ。春先からほぼ6月いっぱいが旬で、日本人にとっての桜にも匹敵する位置づけだ。バッハの旅は11月なのでシュパーゲルを賞味できなかったはずだ。せめて写真で慰める。

20180413_174853

2018年8月13日 (月)

ブラウンシュヴァイク

本日の行程。

  1. 00.0 Salzgitterbad
  2. 05.5 Lobmach
  3. 03.0 Barum
  4. 03.0 Immendorf
  5. 06.0 Lindenberg
  6. 06.0 Runingen
  7. 09.0 Braunschweig

本日の32.5km踏破で全行程の中間だ。

2018年8月12日 (日)

七日目の宿

本日の行程。

  1. 00.0 Seesen
  2. 06.5 Neukrug
  3. 03.0 Rhode
  4. 05.0 Lutter
  5. 14.0 Salzgitterbad

28.5kmだ。「ゼーセン」から「ブラウンシュヴァイク」まで「バッハの街」の地名列挙が空白になる。つまり列挙しなくても迷う余地のないコースだということだ。地名の選択はかえって緊張する。

本日の宿はザルツギッターバート。語尾の「Bad」は温泉だ。本日はバートランゲンザルツァ以来の温泉宿が期待できる。ただし温泉を現す「bad」が語尾にくるのは地名としては少数派だ。

2018年8月11日 (土)

ハルツの西

本日の行程

  1. 00.0 Northeim
  2. 10.5 Echte
  3. 09.0 Ildehausen
  4. 03.0 Engealde
  5. 05.5 Seesen

東西ドイツ国境付近に横たわるハルツ山塊を西に迂回する28km。ハルツ山塊の西麓をかすめてブラウンシュヴァイクを目指す行程だ。ヒルデスハイムには世界遺産となった聖マリア教会があるけれど、残念ながら立ち寄れない。先に述べた「ドイツ並木道」と付かず離れずの行程だ。このショートカットにより25km短縮できる。

ブラームスのop53、通称「アルトラプソディ」は、ゲーテの「冬のハルツ紀行」がテキストになっている。

2018年8月10日 (金)

ノルトハイム

本日の行程

  1. 00.0 Duderstadt
  2. 07.0 Rollshausen
  3. 05.0 Gieboldhausen
  4. 05.0 Bilshausen
  5. 03.0 Lindau
  6. 04.0 Katlenburg
  7. 03.0 Freilichbuene
  8. 04.0 Northeim

久々に長めの36.5km。地名的に興味深いのは「Heim」と「Hausen」が混在していることだ。

2018年8月 9日 (木)

四日目の宿

本日の行程

  1. 00.0 Leinefelde
  2. 02.5 Breitenbach
  3. 11.0 Teistungen
  4. 05.5 Duderstadt

本日もまた短めの19.0km。上記3番目のTeistungenの少し北で、チューリンゲン州から、ニーダーザクセン州に入る。つまりこの辺り一帯は旧東西ドイツの国境地帯である。

2018年8月 8日 (水)

三日目の宿

本日の行程

  1. 00.0 Muehlhausen
  2. 03.0 Ammem
  3. 12.5 LengefelderWarte
  4. 03.5 Dingelstaedt
  5. 06.0 Kallmerode
  6. 04.5 Leinefelde

本日のお宿はLeinefeldeだ。「カルメローデ」の「ローデ」は開墾地だ。地域によって「Roth」「Reuth」「Roda」などなど様々に変化するけれど、開墾の痕跡を示すとされている。ワーグナーで名高いバイロイトもこの系統だ。地名語尾に「rot」つまり「赤」が来る場合、大抵は「roth」開墾地からの「h」の脱落であることが多い。

「Felde」は「野」で、「Warte」は「見張所」というのは一般的な意味。

2018年8月 7日 (火)

ミュールハウゼン

本日の行程

  1. 000.0 BadLangensalza
  2. 006.0 Schoenstedt 直訳すると「美しい街」
  3. 003.5 Grossengottern
  4. 006.5 Hoengeda
  5. 005.0 Muehlhausen

昨日の43km強行軍に比して、21kmという緩さだ。前日の無理をいやすための朝寝坊を配慮した。本日のお宿はミュールハウゼン。バッハはのちにここに勤務することになるゆかりの街だ。「ミュール」は水車。ハウゼンは「家」「ふるさと」を意味する。

本日の行程は、「Deutschealleenstrasse」という観光街道と概ね一致している。ドイツ並木街道くらいの意味だ。

2018年8月 6日 (月)

初日長丁場

旅の用語で、宿場と宿場の距離が長いことを長丁場という。バッハの生涯最長の旅行アルンシュタットからリューベックを目指す旅の初日はとんだ長丁場となる。

  1. 000.0 Arnstadt
  2. 004.5 Holzhausen
  3. 005.5 Gleichen
  4. 005.0 Wechmar
  5. 001.5 Guenthershausen
  6. 006.5 Gotha
  7. 004.5 Renstaedt
  8. 002.0 Warza
  9. 002.0 Westhauesn
  10. 007.0 Heningshausen
  11. 004.5 BadLangensalza

まずは説明から。赤文字は「バッハの街」に通過地として言及された地名で、昨日の記事「バッハの五十三次」でも宿場扱いしている。青文字は「バッハの街」に通過地として言及されていないものの、昨日の記事「バッハの五十三次」では宿場扱いしている。黒文字はそれ以外なのだが、より具体的な経路の特定のための補助として加えた地名。

最下段の街に宿泊するという扱いとする。本日でいうならバートランゲンザルツァ泊である。

地名に先行する数値は、前宿場からの距離をkm単位で表示した。1日目はこれを合計すると43.0kmとなる。一日7時間しか歩けないとするとこれは相当無理。時速5kmで歩いて8時間強だ。後の日程を考えての無理を承知の設定だ。ここは馬車でもいいことにする。

だからという訳ではないが、本日のお宿はおそらく温泉だ。冒頭の「Bad」は温泉の意味だ。地名からしておそらく「塩泉」である。志高い二十歳のバッハがここで弱音とは思えないという勝手な設定。

2018年8月 5日 (日)

バッハの五十三次

記事「バッハの旅支度」で、バッハ生涯最長の旅のコースを推定した。「バッハの街」の記述と現代の道路地図を頼りに、起点と終点の街の他に53の街を無理やり推定して、これらを「バッハの五十三次」と定義したと書いた。総延長492kmの旧東海道に53の宿場がある。バッハの旅420kmに53の街の羅列をもって経路の特定を試みたということだ。

本日はその53の街をアルンシュタットから順に列挙する。起点と終点を加えて合計55になる。

「バッハの街」に通過地の名前として挙げられた街は無条件で採用することとし、以下のリスト中では赤文字で表記した。その他の街を採用するのは宿場間の平均距離を旧東海道と同じ9kmとして、これを満たすような街とした。街の中に「教会」の表示がある街を優先的に採用した。教会の近辺は街の中心マルクト広場の存在が高い確率で推定できるうえに、古くからある街である可能性は高まる。道路地図に記載されているということは、現代でもランドマークとして機能していることに他なるまい。

「アルンシュタットからの距離/前宿場からの距離/街の名前」を表記する。

  1. 000.0/00.0/Arnstadt
  2. 010.0/10.0/Gleichen
  3. 015.0/05.0/Wechmar
  4. 023.0/08.0/Gotha
  5. 031.5/08.5/Westhausen
  6. 043.0/11.5/BadLangenssalza
  7. 052.5/09.5/Grossengottern
  8. 059.0/06.5/Hoengeda
  9. 064.0/05.0/Muehlhausen
  10. 067.0/03.0/Ammer
  11. 079.5/12.5/Langefelderwarte
  12. 089.0/09.5/Kallmerode
  13. 093.5/04.5/Leinefelde
  14. 107.0/13.5/Teistungen
  15. 112.5/05.5/Duderstadt
  16. 124.5/12.0/Gieboldhausen
  17. 132.5/08.0/Lindau
  18. 143.5/11.0/Northeim
  19. 154.0/10.5/Echte
  20. 163.0/09.0/Ildehausen
  21. 171.5/08.5/Seesen
  22. 178.0/06.5/Neukrug
  23. 186.0/08.0/Lutter
  24. 193.0/07.0/Ringelheim
  25. 200.0/07.0/Grossmahner
  26. 208.5/08.5/Barum
  27. 217.5/09.0/Lindenberg
  28. 226.5/09.0/Runingen
  29. 232.5/06.0/Braunschweig
  30. 239.5/07.0/Ruhme
  31. 249.5/10.0/Meine
  32. 260.5/11.0/Gifhorn
  33. 269.0/08.5/Wangenhoff
  34. 276.5/07.5/Weissenberge
  35. 290.0/13.5/Hakkensbuettel
  36. 299.5/09.5/Bokel
  37. 307.5/08.0/Nettelkamp
  38. 317.0/09.5/Uelzen
  39. 326.0/09.0/Gerdau
  40. 331.5/05.5/Ebsdorf
  41. 339.0/07.5/Velgen
  42. 349.0/10.0/Melbeck
  43. 356.0/07.0/Lueneburg
  44. 366.0/10.0/Brietingen
  45. 371.0/05.0/Altlenburg
  46. 377.0/06.0/Schnakenbek
  47. 383.0/06.0/Basedow
  48. 391.0/08.0/Buechen
  49. 399.0/08.0/Hornbek
  50. 4110/12.0/Moelln
  51. 419.0/08.0/Behlendorf
  52. 428.0/09.0/Klempau
  53. 430.5/02.5/Klummesse
  54. 438.0/07.5/Rothebek
  55. 443.0/05.0/Luebeck

総延長443kmとなった。「バッハの街」の見立てより少し長いけれど概ねマッチした。一日50kmの馬車でも9日かかる。

さあ出発だ。

2018年8月 4日 (土)

バッハの旅支度

バッハ生涯最長最大の旅をブログ上で再現するにあたって考慮したことを以下にまとめておく。

  1. 「バッハの街」で紹介されている街をまずは地図上にプロットする。これがおおまかな経路になる。すでにこの時点で総延長420kmと書かれている。直線距離350kmから70km増しである。
  2. これらプロット済みの街々を繋ぎ、現代の道路地図を頼りにコースを推定する。通過する街を無理やり53個推定しこれを「バッハの五十三次」と定義する。
  3. 「バッハの街」の著者は、一日50km歩くとしている。すなわち時速5kmを求めている。一日10時間時速5kmで歩くということだ。で420kmの踏破を8日と見積もっている。
  4. ブログ「ブラームスの辞書」はこれに異議を唱える。バッハの旅の時期は11月だ。ドイツでは最も日が短く、8時に明るくなって15時30分には暗くなる。バッハの旅は明るい間しか歩かないと仮定する。一日最長8時間。食事や休憩も入れたら7時間だ。たった1日なら時速5kmで10時間も出来ぬ相談とは思えないが、総延長420kmとなると簡単ではあるまいと見た。
  5. 江戸時代五街道筆頭の東海道は日本橋京都間492kmで53の宿場を置く。宿場間の平均距離は9km少々。旅人はこれを14日かけて歩いたという。気候、天候、勾配、男女差、年齢で差も生じようが一日35kmだ。一日50kmがいかに過酷かわかる。
  6. 大矛盾がある。バッハの旅はおよそ14日間と見積もるとなると、バッハの申告した4週間の休暇ではリューベック滞在がゼロになる。着いた翌日に出発しなければ休暇期間中にアルンシュタットに戻れない。これはもしかすると馬車を使った証拠になるかもしれない一方で、元々事前申請の4週間など守る気はなかったという確信犯の疑いも浮上する。
  7. 以前ビール特集をした際、ビールは生産場所から半径50kmの範囲で飲まれていたと調べた。これは馬車で丸一日で配送可能なエリアという意味だった。それ以上の配送は品質劣化が起きるとされていたからだ。このことは今回の推定の参考になった。「馬車なら一日50kmが可能」ということなのだが、むしろ「馬車でさえ一日50km」だと読み解くべきだ。

2018年8月 3日 (金)

バッハの旅路

バッハ65年の生涯のうちで、最大最長の旅はと問われれば、1705年11月の徒歩旅行と唱えても誤りとはなるまい。当時の任地アルンシュタットから、尊敬するブクステフーデのいるリューベックへの徒歩旅行だ。リューベック聖マリア教会のブクステフーデは当時最高のオルガニストだ。

一方のバッハは、二十歳。1703年8月9日にアルンシュタット新教会のオルガニストになったばかり。つまりブクステフーデは当代最高の同業者ということになる。リューベックは、アルンシュタットの真北、直線距離でおよそ350kmの位置にある。勤務先に4週間の休暇を申し出て徒歩でリューベックを目指した。

先に紹介した「バッハの街」の313ページに驚くべき記述がある。このときバッハのたどったコースが通過した都市名を添えて詳細に紹介されている。

せっかくなので、手持ちのドイツ道路地図をたよりにバッハの旅路を再現してみる。

20180414_162835
見開きに掲載の地図で、アルンシュタットとリューベックの位置関係を確認しておく。

20180414_113605

現代の地図ではアウトバーンが地形に関係なく張り巡らされているからわかりにくいが、アルンシュタットの北方は、ハルツ山地が横たわっている。これを直線的に突き抜けるコースは取れないから、図の直線はあくまでも目安となる。

2018年8月 2日 (木)

オルガン名曲集

古今の有名曲をオルガンで演奏したCDは珍しくない。本日話題のCDを店頭で手に取った時は、よくある名曲集かと思っていた。

20180724_220712
帰宅してブックレットを読むと、軽い衝撃を覚えた。2016年録音で2017年発売のCDなのだが、オルガニストのGeorges Athanasiades さんは1929年のお生まれだった。録音時点で87歳ということになるからだ。

オルガン名曲集としては自然なことだが、収録全14曲中4曲がバッハだった。

  1. 主よ人の望みの喜びよ
  2. アクトゥストラジクス
  3. G線上のアリア
  4. 恋するガリア

これら超有名曲が淡々とオルガンで鳴らされるのだが、冒頭の「主よ人の望みの喜びよ」の後にブラームスが置かれていた。最後の作品「オルガンのための11のコラール前奏曲op122」の10番「Herzlich tut mich verlangen」である。この手のオルガン曲集に採用されることは大変珍しい。これだけでも購入に踏み切るに十分だった。

さらにそのあとは「タンホイザー」の「巡礼の合唱」だった。オルガンで弾かれてみてはっとした。なんだかきっちりとはまっているので驚いた。しかもオルガン編曲はリストだという。その次にモーツアルトのハ長調ソナタK545全3楽章のオルガン版だ。本CDの唯一のキズともいうべき選曲だ。曲や編曲の良し悪し以前に雰囲気になじんでいない。

しかし続くシューベルトで違和感はリセットされる。「Litanei」D343だ。「連祷」と訳されて違和感の無い万霊節用リートのオルガン編曲だ。「しみじみ」とはこのことだ。

それからお次はショパン。前奏曲op20から4番6番20番が続く。4番はまたまたリストの編曲らしい。そして満を持すバッハ。アクトゥストラジクス、G線、ガリアという流れはよどみがない。

ラスト14曲目が流れ出して耳を疑った。思わずブックレットを読むと「Choral St,Antoni」と書てあるばかりか、演奏者本人の解説で「ブラームスのハイドンの主題による変奏曲の原曲」と明記されていた。87歳の老オルガニストの脳裏にブラームスがあることは確実だ。「聖アントニーのコラール」がハイドン作ではないことはもはや定説となっている。だからジャケットには作曲者名が書かれていない。オルガン曲集のプログラミングだというのにバッハを差し置いてトリにブラームスを持ってきたことは明白だ。ここに及んで、2曲目にブラームスのコラールが置かれた意図がはっきりする。バッハとブラームスでロマン派の作曲家たちをはさんだということに他なるまい。つくづく場違いなモーツアルトが惜しい。

で、演奏はというと。

演奏はというと、遅めのテンポでオルガンが奏でる「聖アントニー」は、なんだかしっとりと心温まる。弾かれてみて「その手があったか」と納得。ハイドンの木管五重奏の第二楽章として、ブラームスの管弦楽用変奏曲の主題として名高いのだが、あくまでもあくまでも本質は「コラール」なのだということを改めて思い知らされた。

2018年8月 1日 (水)

オルガン版トッカータ

バッハのトッカータBWV910から916までの7曲が、レーガーの手によってオルガン用に編曲されていた。7曲のうち、EmollBWV914とGdurBwv916を除く5曲だ。

レーガーのオルガン作品op16目当てにいろいろ探しているうちにこれらを収録したCDに巡り合った。元々好きな作品である上に、最近オルガンにはまっていることもあってホクホクと買い求めた。

すごいCDだった。

20180714_173942

まずは録音場所。ハンブルク聖ミヒャエリス教会。演奏は、同教会の音楽監督Christoph Schoenerという人。レーガーが編曲を残していないBWV914と916をみずから編曲してシリーズを完結させてくれている。同教会にある3つのオルガンを弾き分けてくれている。

このうち2つがジャケットに映っている。

何を隠そう、この教会は、テレマンやCPEバッハが君臨し、ブラームスが洗礼を受けたという聖地だ。

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