バッハの旅支度
バッハ生涯最長最大の旅をブログ上で再現するにあたって考慮したことを以下にまとめておく。
- 「バッハの街」で紹介されている街をまずは地図上にプロットする。これがおおまかな経路になる。すでにこの時点で総延長420kmと書かれている。直線距離350kmから70km増しである。
- これらプロット済みの街々を繋ぎ、現代の道路地図を頼りにコースを推定する。通過する街を無理やり53個推定しこれを「バッハの五十三次」と定義する。
- 「バッハの街」の著者は、一日50km歩くとしている。すなわち時速5kmを求めている。一日10時間時速5kmで歩くということだ。で420kmの踏破を8日と見積もっている。
- ブログ「ブラームスの辞書」はこれに異議を唱える。バッハの旅の時期は11月だ。ドイツでは最も日が短く、8時に明るくなって15時30分には暗くなる。バッハの旅は明るい間しか歩かないと仮定する。一日最長8時間。食事や休憩も入れたら7時間だ。たった1日なら時速5kmで10時間も出来ぬ相談とは思えないが、総延長420kmとなると簡単ではあるまいと見た。
- 江戸時代五街道筆頭の東海道は日本橋京都間492kmで53の宿場を置く。宿場間の平均距離は9km少々。旅人はこれを14日かけて歩いたという。気候、天候、勾配、男女差、年齢で差も生じようが一日35kmだ。一日50kmがいかに過酷かわかる。
- 大矛盾がある。バッハの旅はおよそ14日間と見積もるとなると、バッハの申告した4週間の休暇ではリューベック滞在がゼロになる。着いた翌日に出発しなければ休暇期間中にアルンシュタットに戻れない。これはもしかすると馬車を使った証拠になるかもしれない一方で、元々事前申請の4週間など守る気はなかったという確信犯の疑いも浮上する。
- 以前ビール特集をした際、ビールは生産場所から半径50kmの範囲で飲まれていたと調べた。これは馬車で丸一日で配送可能なエリアという意味だった。それ以上の配送は品質劣化が起きるとされていたからだ。このことは今回の推定の参考になった。「馬車なら一日50kmが可能」ということなのだが、むしろ「馬車でさえ一日50km」だと読み解くべきだ。
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