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2019年3月17日 (日)

ハンブルク市音楽監督

自由ハンザ都市ハンブルクの音楽責任者。ハンブルク生まれのブラームスは若い頃からこの地位に憧れた。ちょっとした手違いすれ違いでブラームスはついぞこの地位に就くことはなかった。

話を1721年まで遡る。40歳のテレマンがハンブルク市音楽監督に就任した。没するまで46年間この地位に君臨した。自由ハンザ都市ハンブルクは、特定の王侯貴族の支配を受けない都市。そこの音楽の責任者たるや、我々現代人の想像を超える。

自由ハンザ都市ハンブルクは、特定の王侯貴族の支配を受けていない。信仰のよりどころとしての教会は存在したが、カントル兼任のテレマンは聖俗両面で頂点にあった。ハンブルクオペラの責任者であるほか、市民向けの演奏会も企画する。裕福な市民向けに楽譜の予約販売も手掛ける。作品が教会音楽に偏っていないのはこうしたハンブルクの位置づけのせいだ。

ハンブルク市音楽監督としてのテレマンの後任はバッハの次男カールフィリップエマニュエルである。父の地位ライプチヒトマスカントルに何らそん色の無い要職だ。やがて1809年にメンデルスゾーンがここハンブルクで生まれることになる。

ブラームスが生まれるのはテレマンの孫、ミヒャエル・ゲオルクの没したわずか2年後のことである。

こうしたハンブルク市の音楽的伝統が、マルクセンという教師から効率よく若きブラームスに植え付けられたとみるべきだ。ハンブルクに生まれて音楽を志す若者が「いつかはハンブルク市音楽監督に」と考えるのは自然なことだ。

同時に、そうした思いの源流にテレマンがいないとしたらそれはむしろ不自然だ。

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