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2019年4月21日 (日)

誉め方の作法

使っている側に悪気が無いだけに厄介だ。作曲家Aを論ずる中に現れる「AはB以前で最も重要な作曲家である」という表現だ。Aは作曲家の名前が入るが、Bは作曲家だったり時代名だったりするのだが、とりわけ作曲家名だった場合、注意が要る。

大抵はAさんをプラスに評価する文脈の中に現れる。個人のブログの感想ではなく、きちんとした解説書の中にだって現れる。Aにブクステフーデ、Bにバッハを代入してみよう。「ブクステフーデはバッハ以前で最も重要な作曲家である」というよく見る文章になる。ここでブクステフーデはバッハに先行するオルガンの大家として演奏と作曲の両面で高い評価を与えられていると見ていい。ところがだ。

ところが、「これはバッハよりは劣るけれど」というニュアンスを濃厚に含む。Aにパッヘルベルを代入しても同じことだ。

信じ込んでいた。最近ブクステフーデやパッヘルベルのオルガン作品に親しんでみると、違和感を感じる。「高い高いバッハの評価ありき」の言い回しではないのかと痛感する。それが学会の通説だと言われれば仕方ないが、普通に「パッヘルベルやブクステフーデはバッハの一世代前の素晴らしい作曲家だ」あるいは「バッハと遜色がない」と言えばいい。使う側は無意識かもしれぬが、ブクステフーデやパッヘルベルへの上から目線さえ感じる。そうまでして持ち上げなくてもバッハは十分素晴らしい。

テレマンの評論に現れる「当時はバッハより有名だった」や、CPEバッハについて言われる「当時はバッハと言えばカールフィリップエマニュエルだった」も同じ香りがする。

ぜーんぶ誉め言葉のつもりだけに厄介だ。最近なんだか違う気がしてきた。ブラームスに訊いてみたい。

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