2つの「Ciaccona」
無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番BWV1004の終曲に「Ciaccona」と書かれている。バッハ自身がそう書いたとされている。カタカナにするなら「チアッコーナ」とでもするのだろうが、一般には「シャコンヌ」と通称されている。
あまりにも有名なせいか、断り無く「シャコンヌ」と申せばこの終曲を指すという慣習めいたものが存在する。現存する信頼に足る資料による限り、バッハ本人が楽譜上に「Ciaccona」と記した場所がもう一箇所ある。カンタータ150番BWV150「主よ我汝を仰ぎ見む」の終曲「私の苦難の日々を」の冒頭だ。
バッハ作品には真贋問題が付きまとうとはいえ、本作は真作であることが確実視されている。その他由来の不確かな作品や、既に散逸した作品は棚上げにすると、「Ciaccona」は2箇所しかない。片方はヴァイオリン曲の最高峰「シャコンヌ」であり、もう片方はどちらかというと地味なカンタータの一角だなどと思っていけない。そのカンタータ150番はブラームスも知っていた。「Ciaccona」と書かれたその終曲は、第四交響曲のフィナーレ冒頭に鎮座するシャコンヌ主題の原型だ。ブラームス自身に「Ciaccona」はたったの2箇所しかないという認識があったかどうかは不明だが、この偶然はおいしい。BWV1004の「Ciaccona」をブラームスが左手用に編曲してクララに捧げている一方、もうひとつの「Ciaccona」であるカンタータ150番の終曲を用いて第4交響曲のフィナーレを書いているからだ。
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