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2019年7月31日 (水)

編曲の範囲

「編曲」何気なく使われているが、奥深い。バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調BWV1004の第5曲「シャコンヌ」は、古来ヴァイオリニストたちを魅了してきた。魅了されたのはヴァイオリニストたちばかりではない証拠に、他の楽器で弾けるようにとさまざまな編曲が試みられている。

  1. ピアノ独奏への編曲。ブゾーニが名高い。ダイナミクス記号に加えて表情用語、アーティキュレーションも施されている。
  2. 他の楽器への編曲。リュート、ギター、チェンバロ、アコーディオン、ブラバン、フルオケ用など多彩である。しばしば移調も行われる。
  3. チェロ・ヴィオラ E線が無くて代わりにC線が存在する楽器たち。ト短調に移調されてしばしば演奏される。ニ短調からト短調への移調をはたして「編曲」と呼べるのか疑問だ。
  4. ピアノ独奏左手用 ブラームス編だ。移調さえ行われずオクターブ下げただけ。これも編曲と呼べるのか。
  5. バッハの自筆譜はシンプルなもので、ポンといきなり与えられてもおいそれを弾けるものではない。和音の形で記譜されていながら、実際にはアルペジオが指示されていたりするからだ。そこを実演奏の観点から必要な改訂が施された楽譜が広く流布しているが、一般にこれは「編曲」とされてはいない。

上記5は「編曲」とは思われていない。上記1、2くらいは「編曲」と呼ばれて違和感はないけれど、3番4番は怪しい。4番のブラームスは、それでもなお編曲と呼びたい。

ピアノの演奏から意図的に右手の参加を封じるというアイデアに免じて「編曲」と呼びたい。右ひじ脱臼したクララのために右腕を必要としない作品を書こうと欲する思いやり、その題材に「シャコンヌ」を選ぶセンス、ヴァイオリン一本が描く世界の奥行きを、左手一本で再現したいとの思いが、諸用語やアーティキュレーション、ダイナミクスの設定に全て反映していると考えると、「名編曲」と位置付けたい。

 

 

2019年7月30日 (火)

もう一人の候補者

1890年、ルスト未亡人の所有していた無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータの手稿譜を、ブラームスが出版を前提に友人と共同で買取を画策したことを話題にした。その友人をジムロックではないかと昨日書いたばかりだが、もう一人候補者がいる。「バッハ伝」の著者で友人のフィリップ・シュピッタだ。

1890年6月16日にシュピッタからブラームスにあてた書簡の中に、同手稿譜についての言及がある。内容までは不明だが、タイミングはピタリである。「ウィーン写本」と表記されている、これに対するブラームスの返信が残っていないなど謎も多く、まだまだ確認も必要だ。

「バッハ伝」第二巻の刊行が1879年、バッハ協会による旧バッハ全集の刊行が着々と進む中、シュピッタとブラームスの間で、シャコンヌを含む無伴奏ヴァイオリン作品が話題となったことは確実だ。

 

 

 

 

 

 

2019年7月29日 (月)

思った通り

ジギスワルド・クイケンの1981年録音のバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」のCDの解説書が充実していてうれしい。その中に、発見が遅れた同曲集の自筆譜についての言及が詳しい。

19世紀バッハ研究の第一人者でトマスカントルでもあったウィルヘルム・ルストの死後、これを所有していたルスト未亡人から、ブラームスが買い取りを計画していたと書いてある。1890年に知人との共同での買い取りを画策したが失敗したと明記されている。

後日、ブラームスの親友ヨアヒムが同自筆譜の写真版を見つけてこれを底本に出版されたのが1908年だが、その同じ楽譜にブラームスが目をつけていたということに他ならない。個人に所蔵されていたのでは、宝の持ち腐れだとわかっているブラームスは出版を前提に買い取とろうとしたと思われる。実物を見ていた可能性もある。もしかするとブラームスはルスト未亡人所有のその自筆譜の価値を見抜いていたかもしれない。知人と共同で画策したというその知人はジムロックではないかとも想像する。

もしその計画が成就していたら、その楽譜はブラームスの所蔵となり、今頃はウィーン楽友協会の蔵書となっていた可能性もある。

2019年7月28日 (日)

アルプ・シュニットガー

北部ドイツ最大のオルガン製作者と位置付けられる。ハンブルクヤコビ教会で彼のオルガンを聴いたときは鳥肌がたった。ニコライ教会はいまでこそ廃墟だけれど、彼の製作したバロック期最大のオルガンがあった。オルガン自体は1842年の大火で焼失したという。彼の工房は欧州中から注文が舞い込む一大コングロマリットの様相を呈していたそうだ。楽器としても工芸品としても一流というのが特徴だ。

ブログ「ブラームスの辞書」渾身のバロック特集のホームストレッチ「シャコンヌ特集」に割り込んで今日、この記事を発信するのは訳がある。本日は彼アルプ・シュニットガー没後300年の記念日だ。1719年7月28日に埋葬されているから、正確には埋葬の記念日というべきか。1648年の生まれだから、ブクステフーデよりは11歳年下で、パッヘルベルより5つ年長という世代。

そう、7月28日はバッハの命日でもある。すごい機縁を感じる。

 

 

 

 

2019年7月27日 (土)

甲斐なきセレナーデ寿

本日、母84回目の誕生日。

大別するなら元気の部類に入る。

つくづくよかったと思うのは、先のリフォームだ。本当に喜んでくれている。よく考えると当たり前だ、我が家の水回りを支配しているのは、依然として疑いようもなく母である。母が元気に動けるうちに出来て本当によかった。

2019年7月26日 (金)

ある日の残高

仕事を終えて、電車に乗って帰宅する。最寄り駅の改札口で、スイカの残高に目をやった。

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これで、一日の疲れが吹き飛ぶ私はシャコンヌ好きだ。

 

 

 

 

2019年7月25日 (木)

立場の違い

畏れ多くもバッハの「シャコンヌ」を不完全とみなして、「完全にしてあげましょう」と手を差し伸べるというのが、バッハ復興が進んだ19世紀後半の主流だった。残された証拠を見る限り、メンデルスゾーン、シューマンも同じ立場。シュピッタをはじめとする研究家たちの姿勢も変わりはない。ほとんどの人たちが「バッハの着想を無伴奏ヴァイオリン1本で再現するのは無理だから、よりそれを明らかにするための編曲」である。素晴らしいシャコンヌをみんなに示したいとか、「私ならやれる」という類の編曲者自身の自負の反映でもある。

わずかにヨアヒムとブラームスだけが別の意見を持っていた。無伴奏であることにこそ積極的な意味があるとする立場だ。

とりわけブラームスはよりパーソナルだ。シャコンヌの完全性を微塵も疑っていない。しかしながらそれを大衆に伝えたいとも思っていない。見ているのはクララと自分だけだ。優れたヴァイオリニストが弾いてくれないときの代替であり、自らがヴァイオリンを弾いているという気分になることが第一義になっている。クララのケガはきっかけに過ぎまい。だから単にオクターブ下げただけという代物ながら立派に編曲の位置づけにある。自分が満足できるシャコンヌをピアノで再現したいという欲求だ。

 

 

2019年7月24日 (水)

シャコンヌとヨアヒム

先に紹介したバッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」全6曲の自筆譜、ベルリン国立図書館の分類番号でいう「BB Mus.ms.Bach P967」が本人の自筆譜と確認されるまでには時間がかかったと書いた。

その確認には大ヴァイオリニストヨアヒムがかかわっていた。全くの偶然に同楽譜の写真譜を目にしたヨアヒムが、これを弟子でありバッハ研究家でもあったアンドレアス・モーザーに出版話を持ちかけたのだ。それが1908年に出版されたボーデウントボック版だ。バッハ自筆譜に基づく世界初の出版だ。

ヨアヒムは出版の前年に惜しくもこの世を去ったが、生前にはこの作品を自らのレパートリーに取り入れて精力的に演奏した。19世紀後半におこったバッハ復興運動の中で、異彩を放つこの無伴奏作品は、ロマン派的解釈の中でさまざまな形で演奏されてきた。シューマンやメンデルスゾーンによるピアノ伴奏パートの付与はその一例である。そうした風潮の中、この作品について現代にも通ずる解釈をもって敢然と無伴奏演奏にこだわったのが、ほかでもないヨアヒムだった。メンデルスゾーンとダーヴィッドに師事する中から、同作品集にふれたヨアヒムは、1844年ロンドンで無伴奏演奏を披露した。なんとこのときヨアヒム13歳である。1855年にピアノ伴奏付での演奏が一度だけあるほかは、無伴奏の演奏にこだわり続けたという。ちなみにこの唯一のピアノ伴奏付の演奏の際、ピアノを受け持ったのはクララ・シューマンだという豪快な尾ひれがついている。

やっとクララが出てきた。1879年そのクララが右腕を脱臼した見舞いにと名高いシャコンヌを左手用に編曲したとき、ブラームスはその理由を語っている。

  1. 愛するクララを慰めるため。
  2. シャコンヌ自体が興味深い作品で、作曲技法という点で常人の理解を超えているから。
  3. 最近ヨアヒムがちっとも弾いてくれないから。

おお。1853年ヨアヒムとブラームスがであったとき、そしてブラームスがリストと決裂してヨアヒムのもとに身を寄せていた。二人は語らいのかたわら、しばしば演奏を楽しんだとされている。そのときヨアヒムは何度かシャコンヌをブラームスに弾いて聴かせていたことは確実だ。

 

 

2019年7月23日 (火)

即興伴奏

1840年のことだ。バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番がライプチヒで公開演奏された。ヴァイオリンを弾いたのはフェルエディナンド・ダーヴィッド。メンデルスゾーンの盟友で、ヴァイオリンコンチェルト初演にあたり独奏を託されるほどの間柄。当時のバッハ演奏の第一人者で、もちろんバッハ協会の発起人の一人だ。

このシャコンヌの演奏が記録に残る限り初の公開演奏だったとされている。このときメンデルスゾーンが即興でピアノ伴奏した。それを実地でシューマンが聴いていたという濃いエピソードだ。

シューマンは演奏を聴いて「バッハの無伴奏ヴァイオリン作品に新たな声部を付与するのは不可能だというバカげた意見を述べた人がいるが、メンデルスゾーンの伴奏はそれに対するこの上ない反論である」と語った。

現在では、バッハがヴァイオリン1本という制約の中で果たそうした狙いが正しく認識されているのだが、当時はこのありさまだったということだ。一般に旋律楽器と認識されているヴァイオリン1本で、複雑なポリフォニーが過不足なく表現されていること、それがシャコンヌという制約の多い形式の中に盛られていること自体がバッハの狙いなのだが、わざわざピアノ伴奏を施すという風潮だったということだ。ピアノがその機能を飛躍的に拡大させていった時代と重なるのは偶然ではあるまい。ピアノが2本の腕、10本の指でフルオーケストラの響きさえ再現可能な万能楽器として認知されるに及んで、ピアノ以外の独奏はピアノに伴奏されることが当たり前になった。ピアノソナタだけが「無伴奏ピアノのための」と呼ばれないことがその証拠だ。

1847年にメンデルスゾーンのピアノ伴奏付「シャコンヌ」が出版されたのを筆頭に、1854年にはシューマンが無伴奏ヴァイオリン曲全6曲のピアノ伴奏付加版を出版した。シャコンヌでのみ、両者の聴き比べが可能だ。

ブラームスは師匠であったシューマンはもとより、メンデルスゾーンだって尊敬していたが「シャコンヌ」の扱いだけは正反対だ。クララの右腕脱臼の見舞いはキッカケに過ぎまい。若いころヨアヒムに弾いてもらった「シャコンヌ」をピアノ編曲するにあたり、「バッハが無伴奏ヴァイオリンでよしとしたなら俺も」とばかりに右腕の参加を拒否したのだ。オクターブ下げる以外何もせんという編曲方針を貫いたのは、シューマンやメンデルスゾーンに対する無言の挑戦と見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年7月22日 (月)

何たる情報網

旧バッハ全集出版の段階で、一連の無伴奏ヴァイオリン作品6曲は、バッハ本人の自筆譜が参照されていなかった。2人目の妻アンナ・マグダレーナの手による精巧な筆写譜が自筆譜だと思われていた関係もあっての仕方のない現象だ。

1906年ヨアヒム主導で自筆譜が再発見されるまで、ずっと日の目を見ることがなかった。旧バッハ全集刊行後に同自筆譜の所有者となったウィルヘルム・ルストは1892年に没するまで少なくとも公には沈黙していた思われる。1892年に没した後、未亡人オルガが同楽譜の処遇を関係者に相談するようになって、その存在が本格的に取り沙汰されるようになった。シュレーダー先生の著書、「バッハ 無伴奏ヴァイオリン作品を弾く」の57ページ脚注に驚くべき記述がある。

バッハの無伴奏ヴァイオリン作品の自筆譜の存在に関して、最も早い言及は1890年のブラームスシュピッタの往復書簡の中に現れると断言している。

シュレーダー先生の原著は2007年の出版だ。20世紀のバッハ研究の成果を反映しきった最先端の書物だから、そこで最初の言及だとお墨付きをもらうということは大変なことだ。誰から聞いたのだろう。死没直前のルスト本人から相談されていた可能性さえ感じる。

2019年7月21日 (日)

妻の筆跡

ベルリン国立図書館が所蔵するバッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」全曲の自筆譜が「BB Mus.ms.Bach P967」という分類番号を持っていると書いた。実は「BB Mus.ms. Bach P268」も同曲集の手書譜だ。それどころか長らくバッハ本人の自筆譜だと思われてきた。第二次大戦後になって、それがバッハの妻アンナ・マグダレーナの筆跡であることが判明した。19世紀後半から続く、バッハ研究の伝統を受け継いできたそうそうたる研究家が、誰一人見破ることが出来なかったほど、彼女の筆跡は夫バッハに似ているということだ。

バッハの他の作品同様、作曲者生前に出版されることがなかったが、1802年に全6曲が刊行された。このときの底本が、アンナマグダレーナの自筆譜だった。もちろん当時は作曲者本人の自筆だと信じられていた。

1843年になって、運弓やフィンガリングを施した演奏譜が登場する。校訂者はフェルディナンド・ダーヴィドという。メンデスルゾーンのヴァイオリン協奏曲の初演者であるほか、バッハ協会創設の功労者でもある。彼の演奏譜も、彼女の写本を作曲者本人の自筆譜として参照している。「バッハの自筆譜に基づく」とまで宣言してしまっているのだ。

なだたる研究家、演奏家がそろいもそろってコロリと騙されるほどの筆跡だ。ブラームスが右腕を脱臼したクララのために、シャコンヌを左手用に編曲しようと思い立ったとき、彼が入手し得た楽譜はみな、妻マグダレーナの写本がもとになっていたということに他ならない。

 

 

 

 

 

 

2019年7月20日 (土)

BB Mus.ms.Bach P967

おかしなタイトル。ベルリン国立図書館の分類番号なのだが、これこそが「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」全6曲の、作曲者バッハ本人による自筆譜を意味する。きわめて美しい筆跡の清書譜として名高く、「1720年」という書き込みがあることで、第一級の研究資料となっている。

バッハの七男でビュッケブルクのバッハとして知られるヨハン・クリストフ・フリードリヒ(母:アンナ・マグダレーナ)の娘、クリスティアーネ・ルイーザが所有していた。それが、高名なバッハ研究家であったウィルヘルム・ルストの所有するところとなり、彼の未亡人を経てプロイセン国立博物館が所蔵するに至る。1917年のことだ。この楽譜が本人の自筆譜と判明したのはおそらくルストの死後であり、これを底本とする楽譜の出版は1908年を待たねばならない。高名な研究家であったルストは、これを所有していながら、本人による自筆譜と認識していなかったと思われる。ブラームスのお友達で、浩瀚な「バッハ伝」を表したフィリップ・シュピッタもこの自筆譜の存在を知らなかった。1879年刊行の「旧バッハ全集」でさえ参照は不可能だった。

ルストと言えば、ブラームスと妙な因縁がある。ブラームスが1879年にライプチヒのトマス教会からカントルへの就任を打診されている。もちろんお断りしたのだが、断られたトマス教会が次に就任を要請したのがルストだった。ルストはこれを受諾している。もしもである。ブラームスが要請を断らず、トマスカントルに就任していたら、その在任期間中に、この自筆譜を入手できたかもしれない。周知の通り、ブラームスは古楽譜の収集家だったから、見逃しはあり得ない。一歩間違えばブラームスの所蔵だったかもしれない。

 

 

2019年7月19日 (金)

シャコンヌの花束2

黙って「シャコンヌ」と言えば、バッハの無伴奏ヴァイオリンのニ短調を指すかのような錯覚がいかに不当かを我が家所有のCDを頼りに検証する。我が家にあるCDからバッハ以外のバロック作曲家の手による「シャコンヌ」を抽出列挙する。「シャコンヌ」との区別があいまいな「パッサカリア」も集計することにした。

<シャコンヌ>

  1. ヴィターリ ト短調
  2. ヴェラチーニ ソナタアカデミッシェ12番ニ短調 第4曲 
  3. エルレバッハ ソナタ第3番 イ短調 第4曲
  4. コレルリ ソナタop2-12 
  5. パーセル ト短調Z7305
  6. パーセル ト長調Z807
  7. ブロウ ト長調
  8. パッヘルベル 組曲第4番ホ短調第6曲
  9. パッヘルベル 組曲第5番ハ長調第4曲
  10. パッヘルベル ニ長調
  11. パッヘルベル ハ長調
  12. ペッツェル 変ロ長調
  13. ヘンデル ト長調 HWV435
  14. ムファット ト長調 「調和の捧げもの」組曲5番より
  15. ムファット ト短調
  16. リュリ ト長調 オペラ「フェートン」からト長調

<パッサカリア>

  1. ヴァルター ホルツルス・ケリクス第7番ニ短調
  2. ヴェラチーニ ソナタアカデミッシェ12番ニ短調 第1曲
  3. ビーバー ト短調
  4. ヘンデル チェンバロ組曲HWV432ト短調より第6曲
  5. マイヤー ト長調
  6. マリーニ ト短調op22

 

 

2019年7月18日 (木)

ブラームス室内楽インデックス

いわば、ブラームス私家版室内楽全集だ。最近体調不良も伝えられるメルケルさんにささげる。手もちのCDから選りすぐりの演奏をチョイスした。お大事にメルケルさん。

  1. ピアノ重奏曲第1番ロ長調op8 
  2. 弦楽六重奏曲第1番変ロ長調op18
  3. ピアノ四重奏曲第1番ト短調op25
  4. ピアノ四重奏曲第2番イ長調op26
  5. ピアノ五重奏曲ヘ短調op34
  6. 弦楽六重奏曲第2番ト長調op36
  7. チェロソナタ第1番ホ短調op38
  8. ホルン三重奏曲変ホ長調op40
  9. 弦楽四重奏曲第1番ハ短調op51-1
  10. 弦楽四重奏曲第2番イ短調op51-2
  11. ピアノ四重奏曲第3番ハ短調op60
  12. 弦楽四重奏曲第3番変ロ長調op67
  13. ヴァイオリンソナタ第1番ト長調op78
  14. ピアノ三重奏曲第2番ハ長調op87
  15. 弦楽五重奏曲第1番ヘ長調op88
  16. チェロソナタ第2番へ長調op99
  17. ヴァイオリンソナタ第2番イ長調op100
  18. ピアノ三重奏曲第3番ハ短調op101
  19. ヴァイオリンソナタ第3番ニ短調op108
  20. 弦楽五重奏曲第2番ト長調op111
  21. クラリネット三重奏曲イ短調op114
  22. クラリネット五重奏曲ロ短調op115
  23. ヴィオラソナタ第1番ヘ短調op120-1
  24. ヴィオラソナタ第2番変ホ長調op120-2

24枚組にした。つまりCDをけちらずに1曲1CDにしたということだ。プレーヤーにセットして再生ボタンをおすと必ず頭出しになるという工夫だ。開いてみたところ。48枚収納のホルダーを用い、上段に見出し、下段にCDを収めた。

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2019年7月17日 (水)

メルケルさんの伝記

「わたしの信仰」という本だ。著者はアンジェラ・メルケルその人。別に編者と訳者がいるから、彼女の文章なり言動なりを取りまとめて和訳したものだとわかる。信仰を切り口としたメルケル伝と思っていい。あるいはメルケルさんを切り口にした現代ドイツの信仰とも言い換えうる。

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昨今の世界情勢に照らして興味深い記述にあふれている。ますます彼女が好きになる。最近体調がすぐれぬともきく。何卒ご自愛を。そしてハッピーバースデー。

2019年7月16日 (火)

お盆のファンタジー37

凄い演奏だった。「墓参御礼のカノン」のことだ。あれから次女を交えてビールそっちのけで夜半まで弾きっぱなしだった。バッハさんと次女はときどきパートをチェンジしている。「実はサードも面白いからな」と訳知り顔のバッハさんだ。通奏低音のパッヘルベルさんは、楽譜を見ていない。そりゃまあ本人だし。繰り返すたびに毎回違うけど大した説得力だ。パッヘルベルさんがトイレにたった隙に、ブラームスさんがチェンバロを弾いてくれた。ブラームスさんリアライゼーションのカノンだ。パッヘルベルさんと細かいところが違うけれど、思った以上に普通だった。「本人前にしとるからのお」としおらしいブラームスさんを、バッハさんが「よかよか」とほめていた。次女いつの間にかファースト弾いてた。

こちらから、5人にお礼を用意していた。「オルガン自由曲頭出し」CD集だ。全17枚組を5名に進呈する。

  • ブクステフーデ 4枚組
  • パッヘルベル 6枚組
  • テレマン 1枚組
  • バッハ 6枚組

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先輩4名を差し置いて「やべえ」としきりに驚いているのはブラームスさんだ。次女が「ブラームスさんのオルガン作品が入ってなくてすみません」と謝ると「ワシのガラクタなんぞに用はない」といつもの謙遜ぶりだ。「現代日本でCDの音源があるものとならざるを得ずテレマンさんが少なくてすみません」と私が説明した。「未発見作品が全て見つかったらテレマンさんが最多になるはず。今度ワシの手持ちを送るから」「シュピッタの所にはブクステフーデさんのがもっとあるはず」とブラームスさんが真顔でつぶやく。「CDあるんか」と突っ込むのはやめておいた。当のテレマンさんは「なあにお三方は教会オルガニストだから」と冷静に応じている。

「道中聞きながら」と大切そうに抱えて、さっき帰っていった。

2019年7月15日 (月)

お盆のファンタジー36

令和改元の話が一段落すると、ブクステフーデさんが「ところで墓参のときについてきたネコはいったい何者だ?」と訊いてきた。セバスチャンのことだ。ペットボトルホルダーの意味を説明し、ツアーペットからブログペットに昇格したと説明した。次女が私の部屋から連れてきて差し出しながら「名前はセバスチャンです」と紹介すると、バッハさんが飲みかけのビールを吹いた。

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「一人旅の退屈を紛らせてくれたし、みなさんのお墓で写し込むことで、確かに私が現地を訪れた証拠になります」と私が付け加えた。「ケラーで支払いをするときセバスチャンを含めてツザーメンというと受けが取れました」「みなさんの墓参を1度の旅行で達成するために知恵を絞りました」「その一つがセバスチャンです」

「それではセバスチャン閣下に墓参のお礼をしよう」とテレマンさんが切り出した。バッハさんが「貴殿の家にはチェンバロがあったはずだ」と言っている。たしか前回、電子ピアノでチェンバロの音が出ると説明していた。「酔いが回る前にな」とテレマンさんが促すとおのおの何か取り出している。私の「カノンニ長調を5人で演奏する」とパッヘルベルさんが宣言した。「日本で超有名ときいたんでな」と。

何やらもじもじとブクステフーデさんが困った顔をしている。「わしはヴィオラダガンバで通奏低音を弾きたいのだが…」と小声だ。困惑の意味がわかった。彼がガンバを弾くとヴァイオリンが一人足りなくなるからだ。「道中ブラームスさんにヴァイオリンを弾くよう説得したのだが色よい返事がなくてな」とブクステフーデさんが訴える。ブラームスさんはにやりとしながら「いやいやここには可憐なヴァイオリニストがおるのでな」と次女を指さした。

チェンバロはパッヘルベルさん。ブクステフーデさんがガンバ。バッハさんとテレマンさんと次女がヴァイオリンだ。緊急会合の結果、テレマンさんが第一ヴァイオリンで、次女がやはりセカンド。バッハさんがサードを弾くときまった。気の早いパッヘルベルさんがAを鳴らしている。次女が急いで2階にヴァイオリンを取りに走った。

感動的。やけに早いテンポ。

「この日のために何回かトマス教会に集まって練習した」「練習中は私がセカンドを弾いたよ」とジョッキ片手のブラームスさん。「ご息女は飛び入りの割には溶けているな」「楽譜よりテレマンさんをガン見している」とほめてくれた。

2019年7月14日 (日)

お盆のファンタジー35

さすがのブラームスさんも今年ばかりはツアーコンダクターに徹したようだ。盆灯を待ちかねたように5名が立て続けに我が家にやってきた。ブラームスさんは手早く紹介してくれた。

ブラームス:「こちら最年長のブクステフーデさん」

ブクステフーデ:「ディートリヒと呼んでくれ」

ブラームス:「こちらはニュルンベルクのパッヘルベルさん」

パッヘルベル:「大ヨハンと呼んでくれ」

ブラームス:「こちら同郷のテレマンさん」

テレマン:「フィリップと呼んでくれ」

前に一度来たことがあるバッハさんはブラームスさんが紹介する前に「最年少のバッハです」と私に手差し出した。さすがのブラームスさんもこのメンバーの中では使い走り状態だったと見えてしきりに汗を拭いている。無理もない。

まずブクステフーデさんが「昨年は墓参ありがとう」と切り出した。昨年8月のドイツ旅行で、4名の墓参りをしたことに感謝してくれた。

玄関先の話し声を聞いて母が出てきた。「立ち話してないで中に入ってもらいなさい」といつもの仕切り癖が出ている。リフォームしたばかりのリビングに座ってもらうと、次女がビールを注いだ。乾杯の発声はブラームスさんに促されたパッヘルベルさんだ。

「プロジット」

一気飲みが終わったところでテレマンさんが私に「ところで今年、日本ではカイザーが交代したのか」と尋ねてきた。ドンピシャの時事問題である。「イエス」というと「カイザーではなくテンノーだと」とブラームスさんがしたり顔で割り込んできた。「日本は選挙で皇帝を決めたりせんようだ」と付け加える。選帝侯のことを言っているのだろう。「日本ではおよそ200年ぶりの生前退位です」「30年前の改元では、昭和天皇の崩御とセットだったから自粛ムードも目立ったけれど、今回はお祝い一色でした。慣れない10連休で大変でした」と、いつの間にか次女が説明している。前回の改元の時には生まれていなかった次女だが堂々たる講釈だ。「改元関連テレビ番組が盛んに放映される中、皇室の歴史を振り返る番組ではバッハさんの作品がBGMになっていました。」といちいち細かい。

 

2019年7月13日 (土)

どうした風の吹き回し

先に公開した記事「シャコンヌの花束」は、バッハ作曲「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第二番」の第5曲「シャコンヌ」の所有CDの一覧だ。この中に2度現れるプレイヤーが一人いる。シェリングさんともう一人ウィーン生まれのヴァイオリニスト、ベンヤミン・シュミットだ。

いやはや謎が多い。1994年と1999年に「無伴奏ソナタとパルティータ」全6曲を2度スタジオ録音している。これだけでもあまり見かけない。ライブがCD化されることを除けば、複数回しかも全曲のスタジオ録音は珍しかろう。1994年はRシューマンによるピアノ伴奏付与版だ。1999年がオリジナルの無伴奏版。つまりこの人、オリジナル全曲録音の前に、ピアノ伴奏付与版を先に全曲録音しているということだ。

一度お話をうかがいたいものだ。

 

 

2019年7月12日 (金)

シャコンヌの花束

ブラームスがピアノ左手1本用に編曲したバッハのシャコンヌを知るずっと以前から、大好きな曲だった。シェリングのLPをお年玉をはたいで買い求めた中学時代から、ずっと好きだったこともあって、我が家にはかなりCDが所蔵されている。本日は録音年代順にそれを示す。

  1. 1942 Bronisraw Huberman 14歳の時ブラームスの前で協奏曲を演奏した人。ひとまず話のタネに。
  2. 1948 Georges Enesco いろいろ突っ込みどころが多くて楽しい。
  3. 1950 Zino Francescatti  蝶が舞うようなポルタメントがときどき。
  4. 1952 Jascha Heifez キレッキレ。
  5. 1955 Henryk Szeryng スタンダードに先行するが十分魅力的。
  6. 1957 Yehudi Menuhin う~ん。
  7. 1960 Arthur Gumiaux 透明感あふれる。
  8. 1960 Josef Szigeti シゲティ好きとしてははずせぬ。
  9. 1967 Henryk Szeryng 最初に買ったシャコンヌ。当時はLP。
  10. 1970 Josef Suk 充実の作品解説。
  11. 1973 Mathan Milstein よかよか。
  12. 1974 Leopold Stkowski(Orch) 編曲者本人の指揮。録音時92歳。
  13. 1974 Felix Ayo イムジチのコンマス。
  14. 1975 Gustav Leonhardt 演奏者本人によるチェンバロ編曲。ト短調。
  15. 1976 Salvatore Accard  実は地味に気に入っている。
  16. 1980 Gidon Kremer 流れよりも言いたいことが優先。
  17. 1981 Sigiswald Kuijken バロックヴァイオリンの大家。充実の作品解説。
  18. 1981 Ruggiero Ricci 突っ込みどこ満載で楽しい。 
  19. 1985 Karl Suske 気に入っている。
  20. 1987 Itzak Perlman 意外に普通。
  21. 1990 Seiji Ozawa (Orch) arr Hideo Saito オケ編曲。
  22. 1993 Christian Tetzlaff キビッキビのジークがいい。
  23. 1993 Viktoria Mullova 古楽器かと思ったくらい。
  24. 1993 Skipi Sempe チェンバロ。
  25. 1994 Benjamin Schmid(mit pf)arr.R.Schumann この人原曲の前にこれを録音!
  26. 1994 Louis Demetrius Alvenis(pf)arr.Brahms ただ一人「5つの練習曲」全曲収録。
  27. 1995 Vito Petersoster(Vc) チェロがうまいのだとは思うが・・・・・。
  28. 1995 Detref Klaus(pf)arr.Brahms ブラームス版ではもっとも好き。
  29. 1996 Anator Ugorski(pf)arr.Brahms
  30. 1997 Hilary Hahn 録音時17歳。JKのシャコンヌ舐めるべからず。
  31. 1998 Rudolf Gaehler(baroqueVn) 曲弓での演奏。
  32. 1999 Benjamin Schmid やっと伴奏抜き。
  33. 1999 Eliot Fisk ギター版。
  34. 1999 Rachqael Pogder(baroqueVn) 癒し系。
  35. 2000 Nobuko Imai(Va) チェロで弾かれるよりよい。
  36. 2000 Christoph Poppen  合唱付きもあるよ。
  37. 2000 Tomoko Kato  実は気に入っている。
  38. 2001 Marie Josef Jude(pf)arr.Brahms 
  39. 2003 Rainer Kuechl 鍾乳洞の中で演奏してるみたい。
  40. 2004 Mayako Sone チェンバロ。
  41. 2004 Julia Fischer ピアノもすごいらしい。
  42. 2005 Urara Sasaki(pf)arr.Bousoni ブラームス編に比べると派手。
  43. 2006 Antoine Tamestit(Va) パルティータ2番全曲です。ヴィオラ版最上。
  44. 2006 Sigrid Kuulmann フィンランドの女子。よか。
  45. 2007 Janine Jansen むしろ併録のインヴェンションがいい。
  46. 2008 Alina Ibragimova 二刀流女子。
  47. 2008 Helene Grimaud (pf)arr.Bousoni ブゾーニ編曲の割にはしっとり。
  48. 2009 Isabelle Faust 今を時めく。
  49. 2009 Ludvico Tramma(mit pf)arr.Mendelssohn あっと驚くメンデススゾーン編。
  50. 2009 Kristof Bratti ドイツの若手らしい。
  51. 2010 Sigrid Kuulmann エストニアの女子。実は気に入っている。
  52. 2010 Sayaka Shoji 女子の時代。
  53. 2014 Enrico Onofri ブックレットがブラームスに言及。
  54. 2014 Markku Luolajan Mikkola(Baroque Cello) チェロで弾かん方がいいかも。
  55. 2014 Jean Roneau ブラームス編をチェンバロで!
  56. 2015 Minako Tsukatani オルガン版!

おバカなコレクション。

 

 

 

 

     

 

 

 

 

2019年7月11日 (木)

シャコンヌのオルガン編曲

塚谷水無子先生のCDにシャコンヌのオルガン編曲が入っていた。ご自身の編曲だ。2015年の録音。

いやいや、しばらくオルガンに浸した耳にはすんなり入って来る。問題ない。

オルガン特有の音圧で違和感がない。

2019年7月10日 (水)

シャコンヌの尻尾

無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番の5曲目、てゆーか「シャコンヌ」の話。一番最後の音は「D」だ。そしてそのひとつ前の音も「D」になっている。「レレー」と聞こえる。まあ、エンディングだということもあって、奏者によっては大きくテンポが緩んでいるので「レレー」どころではなく、「れーーーれーーーーーーーーーー」くらいに聞こえることもある。

この連続する「D」はデジャブだ。

どこかで聴いたことがあるのだ。それはきっとパルティータ第1曲「アルマンド」の冒頭だ。アルマンドは、アウフタクトで立ち上がるお約束がある。ここでも例外ではない。シャコンヌの尻尾と同じ連続する「D」で立ち上がる。デジャブの原因はきっとこれだ。音の高さまで完全に一致する「D」だ。

フィナーレに置かれたシャコンヌの尻尾は、第一曲アルマンド冒頭のエコーと聴こえる。

2019年7月 9日 (火)

シャコンヌの前

無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番の5曲目にあるのがシャコンヌだから、「シャコンヌの前」と言えば第4曲の「ジーク」ということになる。重音奏法てんこ盛りのシャコンヌと対照的に、こちらジークには一度も重音奏法は現れない。基本的には16分音符の音の連なりになる。

シャコンヌのCDを集めていれば自然に集まってしまうのだが、実は気に入っている。重音無しにハイテンポで駆け巡ることで、続くシャコンヌとの対比を演出しているようにも聴こえる。楽曲の構造としては「AABB」なのだが、リピート記号を順守するしないの選択肢が演奏者側にあるので、演奏時間がまちまちになっている。

 

 

2019年7月 8日 (月)

左手のためのセレナーデ

ブラームスはピアノ演奏から右手の参加を奪った形態に興味を持っていた節がある。クララ・シューマンの右腕の負傷を契機に生まれたシャコンヌニ短調が特に名高い。もしかするとそうした傾向はハンブルク時代の恩師マルクセンの影響かもしれない。

ブラームスは15歳で初めてのコンサートを開いた。バッハのフーガに混じって恩師の作品も演奏したという。その恩師の作品こそが本日のお題「左手のためのセレナーデ」である。CDや楽譜は探しきれていない。もしかするとブラームスのこの初コンサートのプログラムの中でのみ命脈を保っているのかもしれない。

 

 

2019年7月 7日 (日)

ブラームスバロック

ブログ「ブラームスの辞書」でバロック特集開催中の今、ぴったりのCDがある。

20170811_120919

ピアニスト、デトレフ・クラウス教授のCDでタイトルがそのものずばりの「ブラームスバロック」だ。

  1. バッハ・ブラームス編曲 左手のためのシャコンヌ
  2. グルック・ブラームス編曲 ガヴォットイ長調
  3. ブラームス 弦楽六重奏曲第1番 第二楽章ピアノ版
  4. ブラームス ヘンデルの主題による変奏曲

作品の選択に隠しテーマ「クララ」があることは大変印象的で、演奏も申し分ない。1番のシャコンヌは同曲の演奏としてもっとも気に入っている。2番のガヴォトは超癒しだ。グルックは1714年生まれ。バッハの次男カールフィリップエマニュエルと学年違いの同い年で、没年も1年違いの彼をはたして「バロック」扱いしていいのか疑問もあるが、「こまけーこたあいいんだよ」と言われそうだ。

他にもいろいろ興味深い。CDのトラックが1曲1トラックになっている。変奏曲の個別の変奏に1トラックあてるCDが多い中異例だ。

3番目、ブラームス自身が自作をピアノ独奏用に編曲してクララ・シューマンに献じた作品だが、これの何がバロックなのだろう。

 

 

2019年7月 6日 (土)

アンドレアス・シュタイアー

ドイツのチェンバリスト。素晴らしいCDに巡り合って感謝するばかりである。

バッハの作品番号BWV960番台には興味深い作品が並んでいる。一言で申せば編曲ソナタとでも称すべき他の作曲家の作品をバッハがチェンバロ用に編曲した作品群だ。コンチェルトは970番台になっている。BWV971のイタリア協奏曲の知名度に及ばぬものの、侮れぬ作品が並ぶシュタイアーさんのCDは、かゆいところに手が届く選曲になっている。

ラインケンの「音楽の園」から11曲をバッハがチェンバロ用に編曲したBWV954、965、966が本当に貴重だ。キリリキビキビの爽快感が素晴らしい。けしてメジャーとは言えないラインケンの室内楽が無理なくしみ込んでくる。オリジナルを聴きたくなる。

メインはBWV964なのだろう。これは無伴奏ヴァイオリンのためのソナタイ短調BWV1003のバッハ本人によるチェンバロ編曲だ。無伴奏ヴァイオリン版とは全く別の趣きながらしみじみとした味わいがある。ヴァイオリンで聴く時の超絶技巧感は影を潜める。ヴァイオリンが3音以上の重音を鳴らそうと試みる際不可欠な間が発生しない分、音楽の流れがピュアになる感じがする。特に第3曲のしみじみとした味わいは特筆ものだ。極上のインテルメッツォを聴かされている気になる。

そしてBWV968だ。これも無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番ハ長調をバッハ本人がチェンバロに編曲したものなのだが、なんと第1曲だけが編曲の対象だ。他の楽章が残されていない原因は不明だが、そりゃ殺生だ。拷問に近い。シュタイアーさんはその空気を読んで第2曲以降をみずから編曲して演奏してくれている。全く違和感のない出来映えで感心する。

2019年7月 5日 (金)

横着

するべきことを怠けることくらいの定義で良いのだろうか。

左手のためのシャコンヌをブラダスに取り込んだ。リンフォルツァンドが用いられている。ブラームスのリンフォルツァンドの扱いについては既に何回か述べたが、この曲における使用実態を見てさらに確信が深まった。「瞬間型マルカート」という解釈あるいは、楽譜上へのマーカーペンの使用のイメージで違和感がない。

そこらじゅうの音楽用語事典がスフォルツァンドと同じという解釈を載せている。ブラームスに関しては「もってのほか」だと感じる。ブラームスがスフォルツァンドとリンフォルツァンドを明らかに使い分けていることが辞典の執筆者から不当に無視されていると思う。でなければ「横着」だ。

「左手のためのシャコンヌ」での用法はフレーズの頭をそっと指し示す機能だと思う。バッハのオリジナルは音楽記号が完全に落ちているが、ブラームスは編曲にあたりフレージングを指示したのだと思う。このリンフォルツァンドには「音を強くせよ」という意図は爪の先ほども無いと思う。スフォルツァンドなんぞを配しては音楽ががさつになり過ぎると考えたに違いない。

2019年7月 4日 (木)

さっそく発見

記事「シャコンヌをブラダスへ」で「左手のためのシャコンヌニ短調」をブラダスに取り込むと宣言した。あまり長い曲ではないので、もう取り込みは終わっている。バッハのオリジナルの雰囲気をピアノの左手一本に転写する際のブラームスの心のありようが用語使用面にどう反映しているか探るのが狙いだ。いつものようにペダル関連の表示を対象外としてカウントすると34種類88個の用語が記載されている。このうち他のブラームス作品には一切現れず、この編曲にだけ出現する用語が下記の通り5種類ある。

  1. legato ma leggiero 100小節
  2. p e molto leggiero 96小節
  3. piu p ben legato sempre 76小節
  4. sempre f e ben marcato 65小節
  5. sforzando molto 239小節

このうちの5番目「sforzando molto」は「ブラームスの辞書」に載っていない。元々作品番号のある作品に対象を絞ったが、興味深いケースについては適宜収録という姿勢の反映だ。つまり上記の1から4までは執筆時の私自身が「興味深い」と判断したために「ブラームスの辞書」に収録されたということだ。

この5件、全てブラームスらしいのに5番目だけ落とすとは恥ずかしい。それにしても「収録を作品番号のある作品に絞る」とは、横着な判断をしたものだ。

2019年7月 3日 (水)

シャコンヌをブラダスヘ

著書「ブラームスの辞書」執筆のデータ的基礎としてブラダスが存在することは既に何度か述べてきた。ブラームス作品の楽譜上に出現する音楽用語をエクセル入力した代物だ。エクセルの行数にして22000を数える。執筆を終えた今でも宝物だ。

一方でブラダスには弱点もある。「ブラームスの辞書」の執筆方針から反映されたものだ。データ収集の範囲を「作品番号のある作品」に限ってしまっているのだ。この制約により、以下の諸作品がブラダスから漏れていた。「ブラームスの辞書」刊行後、ブラダスへ追加入力を実施してきた。

  1. ハンガリア舞曲
  2. ドイツ民謡集
  3. FAEソナタ
  4. ピアノ三重奏曲第一番初版
  5. ピアノ三重奏曲イ長調
  6. ピアノ四重奏曲第1番管弦楽版-シェーンベルグ編

バッハのシャコンヌの左手用編曲版をブラダスに取り入れることにする。原曲は無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータニ短調BWV1004の終曲だ。バッハのオリジナルは音楽用語的には無垢である。これを左手のためのピアノ曲にと転写するにあたってブラームスがどんな用語を配置したのか調べるのだ。興味深い結果が得られればブログで言及する。

 

 

2019年7月 2日 (火)

テレマンにもある

コラール「来ませ聖き御霊」を題材にしたフーガが、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番の第二楽章フーガの主題になっている。同じ主題を用いたフーガがブクステフーデのBuxWV175にも存在すると書いた。テレマンのフーガにも同主題を用いているものがあったTWV30:12ホ短調だ。基礎情報が薄いから、ブクステフーデやテレマンの作品の中にはこの手のサプライズが埋もれていることが多く、何かと楽しい。

コラール「来ませ聖き御霊」は、コラダスではフルマークだ。4名がそろってオルガンコラールに採用していることを考えると、パッヘルベルにも同主題のフーガがある気がしてきた。

 

 

2019年7月 1日 (月)

BuxWV175

ブクステフーデのオルガンのためのフーガト長調の番号だ。ブクステフーデのCDを聴いていて耳が反応した。「どこかできいた」というアンテナにひっかかった。このフーガ、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番ハ長調の第二楽章と同じ主題だ。つまりそれはコラ-ル「来ませ聖き聖霊」の引用ということだ。

バッハはもちろん、ブクステフーデ、パッヘルベル、テレマンのオルガン作品は油断ができない。いかにも「オルガン自由曲」然とした「フーガ」とタイトリングされていても、そのフーガの主題がコラール由来ということも少なくない。本件がその好例だ。

主題の反行形が現れるところまでそっくりだ。

20190210_162145

およそ3分少々の小品ながら精巧な作りにただただ感心するばかりだ。

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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