シャコンヌとヨアヒム
先に紹介したバッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」全6曲の自筆譜、ベルリン国立図書館の分類番号でいう「BB Mus.ms.Bach P967」が本人の自筆譜と確認されるまでには時間がかかったと書いた。
その確認には大ヴァイオリニストヨアヒムがかかわっていた。全くの偶然に同楽譜の写真譜を目にしたヨアヒムが、これを弟子でありバッハ研究家でもあったアンドレアス・モーザーに出版話を持ちかけたのだ。それが1908年に出版されたボーデウントボック版だ。バッハ自筆譜に基づく世界初の出版だ。
ヨアヒムは出版の前年に惜しくもこの世を去ったが、生前にはこの作品を自らのレパートリーに取り入れて精力的に演奏した。19世紀後半におこったバッハ復興運動の中で、異彩を放つこの無伴奏作品は、ロマン派的解釈の中でさまざまな形で演奏されてきた。シューマンやメンデルスゾーンによるピアノ伴奏パートの付与はその一例である。そうした風潮の中、この作品について現代にも通ずる解釈をもって敢然と無伴奏演奏にこだわったのが、ほかでもないヨアヒムだった。メンデルスゾーンとダーヴィッドに師事する中から、同作品集にふれたヨアヒムは、1844年ロンドンで無伴奏演奏を披露した。なんとこのときヨアヒム13歳である。1855年にピアノ伴奏付での演奏が一度だけあるほかは、無伴奏の演奏にこだわり続けたという。ちなみにこの唯一のピアノ伴奏付の演奏の際、ピアノを受け持ったのはクララ・シューマンだという豪快な尾ひれがついている。
やっとクララが出てきた。1879年そのクララが右腕を脱臼した見舞いにと名高いシャコンヌを左手用に編曲したとき、ブラームスはその理由を語っている。
- 愛するクララを慰めるため。
- シャコンヌ自体が興味深い作品で、作曲技法という点で常人の理解を超えているから。
- 最近ヨアヒムがちっとも弾いてくれないから。
おお。1853年ヨアヒムとブラームスがであったとき、そしてブラームスがリストと決裂してヨアヒムのもとに身を寄せていた。二人は語らいのかたわら、しばしば演奏を楽しんだとされている。そのときヨアヒムは何度かシャコンヌをブラームスに弾いて聴かせていたことは確実だ。
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