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2019年8月31日 (土)

バロック特集総集編⑩

バロック特集最後の総集編となる。

  1. 07月01日 BuxWV175
  2. 07月02日 テレマンにもある
  3. 07月03日 シャコンヌをブラダスへ  
  4. 07月04日 さっそく発見
  5. 07月05日 横着
  6. 07月06日 アンドレアス・シュタイヤー
  7. 07月07日 ブラームスバロック
  8. 07月08日 左手のためのセレナーデ
  9. 07月09日 シャコンヌの前
  10. 07月10日 シャコンヌの尻尾
  11. 07月11日 シャコンヌのオルガン編曲
  12. 07月12日 シャコンヌの花束
  13. 07月13日 どうした風の吹き回し
  14. 07月14日 お盆のファンタジー35
  15. 07月15日 お盆のファンタジー36
  16. 07月16日 お盆のファンタジー37
  17. 07月19日 シャコンヌの花束2
  18. 07月20日 BB Mus.ms.Bach P967
  19. 07月21日 妻の筆跡
  20. 07月22日 何たる情報網
  21. 07月23日 即興伴奏
  22. 07月24日 シャコンヌとヨアヒム
  23. 07月25日 立場の違い
  24. 07月26日 ある日の残高
  25. 07月28日 アルプ・シュニットガー
  26. 07月29日 思った通り
  27. 07月30日 もう一人の候補者
  28. 07月31日 編曲の範囲
  29. 08月01日 編曲物ランキング
  30. 08月02日 オノフリ
  31. 08月03日 フルッチョ・ブゾーニ
  32. 08月04日 ほとんどトロンボーン
  33. 08月05日 出来る限りのクレッシェンド
  34. 08月06日 驚きのコンサート
  35. 08月07日 ブゾーニの辞書
  36. 08月08日 大きなお世話
  37. 08月10日 5つの練習曲
  38. 08月11日 アルヴァニス
  39. 08月12日 ニ短調ソナタBWV964
  40. 08月13日 いやはや貴重
  41. 08月14日 チェンバロでシャコンヌ
  42. 08月15日 当然の疑問
  43. 08月16日 ヤープ・シュレーダー
  44. 08月17日 読み手側の知識
  45. 08月18日 クララへの献辞
  46. 08月19日 クララへの献辞2
  47. 08月21日 キールより愛をこめて
  48. 08月22日 通説を疑う
  49. 08月23日 祖父ニコラウス
  50. 08月24日 脱臼の痕跡
  51. 08月25日 ブラームスのシャコンヌ観
  52. 08月26日 シャコンヌ情報の集積
  53. 08月27日 バロック特集の手応え
  54. 08月28日 ゲーテ生誕270周年
  55. 08月30日 風の変わり目
  56. 08月31日 本日のこの記事。

2019年8月30日 (金)

風の変わり目

記事「本質への手順 」が、風の変わり目だった。

誰の言葉だったか、「ブラームスの中に過去500年のドイツ音楽が投影されている」という言葉がある。ブログ「ブラームスの辞書」を長く続けている身としては、知識としてその言葉を知っていたことは知っていた。ブラームスは19世紀末の欧州楽壇で、その作品に宿る個性により確たる地位を築きながら、同時に古楽譜の収集や、先輩作曲家の研究などそのキャラクターを通じてドイツ音楽500年の集大成と位置付けられた。

が、今思うと上辺だけだった。「過去500年のドイツ音楽」など、話が大きすぎて頬ばりきれていなかった。この度の「バロック特集」を開始した時点でさえ、特集の意図として「過去500年のドイツ音楽」を探査の対象としてはいなかった。その証拠に、ブラームスと直接関係のないバッハネタの発信を「脱線」「逸脱」と称し、言い訳を添えていた。「バロック特集」開幕に先立つ13年の間、そちらに踏み出そうともしなかった。今思うとはずかしい。

記事「本質への手順」ではそれら「脱線」「逸脱」こそが本質に迫るための適正な手順なのではないかと自問した。効果はてきめんだ。こちらがそう変わってみると、ブラームス作品の聞こえ方が一皮むけた。

ブラームスの視線はバッハより200年さかのぼった先までも見据えていた。それに気づかせてくれたのは、バッハだと断言できる。

2019年8月29日 (木)

あと5000本

ブログ「ブラームスの辞書」の目指すゴール「ブラームス生誕200年」のメモリアルデー2033年5月7日まであと5000日だ。その間一日の抜けもなく記事を更新するにはあと5000本の記事が要るとわかる。必要記事の総数10252本から見ればすでに半分を過ぎている。

これから取りそろえる記事は、すでに積み上げた記事より252本も少なくていいのだ。それに加えて今朝現在記事の備蓄が981本あるから、あと4019本思いつけばいい。なんだか希望が湧いてきた。

 

 

 

2019年8月28日 (水)

ゲーテ生誕270周年

8月28日はゲーテの誕生日だ。1749年のお生まれだから今年は生誕270年のメモリアルイヤーとなる。ブログ「ブラームスの辞書」の準主役バッハが亡くなる1年前の生まれということだ。

一方没年は1832年。本ブログの主役ブラームスの生まれる1年前である。83歳という長生きで、その長い生涯は音楽史で申すところの古典派の時代を飲み込んでいる。

  1. モーツアルト 1756-1791
  2. ベートーヴェン 1770-1827
  3. シューベルト 1797-1828

まばゆいばかりの光を放つこの3名より、先の生まれながら、彼らを見送ったということだ。

バッハとブラームスの間を、きっちりゲーテが埋めている。

2019年8月27日 (火)

バロック特集の手応え

バロック特集は会期1年8か月、記事420本でフィニッシュしそうだ。それでもなおブログ「ブラームスの辞書」の設定するゴールまでは遠い。2033年5月7日のブラームス生誕200年まで記事を敷き詰めるにはあと五千と少々をなんとかひねり出す算段が必要だ。いつの日か、もう一度バロック特集を開催できれば相当楽になる。ワーグナーやベートーヴェン、あるいはモーツアルトを特集するよりは、そちらの方がよっぽど現実味がある。

バロック特集を終えた今だからこそわかる。バッハを中心に据えたバロック特集ならまだ未言及の広大な領域が存在する。マタイ受難曲に代表される声楽作品はほぼ手つかずと言っていい。クラヴィーア作品や無伴奏チェロもしかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年8月26日 (月)

シャコンヌ情報の集積

名高いバッハのシャコンヌには、古今東西膨大な数の論評が存在する。CDだって星の数ほどある。ところが、ところが、ブラームスのピアノ編曲版については、CDの数も数えるほどだし、文献に至っては日本語で読めるまとまった言及はないというありさまだ。あちこちにポツリポツリと点在する断片的な言及を丹念に集めるしか方法がない。タイトルからは想像もつかないような書物や文献の中に、意外な言及があるにしてもグーグル検索でさえあまり水揚げが多いとは言えない。

そういう市場の隙間にこそ、弱小ブログ「ブラームスの辞書」の出番がある。今回のシャコンヌ特集を執筆するにあたっての情報収集は、非常に有意義であった。かなりな数の記事が稼げた。

 

 

2019年8月25日 (日)

ブラームスのシャコンヌ観

「左手のためのシャコンヌ」をクララに贈ったとき、ブラームスが添えた手紙に現れる「シャコンヌへの思い」をもう一度以下に示す。

「シャコンヌは私にとって、最も美しく、かけがえのない作品の一つです。もし、この曲を聴くために、最高の技術と音楽性を持つヴァイオリン奏者をつかまえられないのなら、最も大きな楽しみは、きっとそれを心の中で聴くことでしょうね。オーケストラを使っても、ピアノにしても、私(ブラームス)がどんな方法で試みようとも、自分の喜びは台無しになります。ところが、もちろん格は落ちるものの、満足を得られる-とても純粋な喜びをこの作品から手に入れることを可能にするたった一つの方法があることに気付いたのです。それは、私がこの曲を左手だけで弾くことです。このことはコロンブスの卵の逸話を思い出させます。テクニックの種類、アルペジオなどのすべてが同様の問題となる、つまり私自身がヴァイオリン奏者になったように感じさせてくれるのです」

  1. テクと音楽性を併せ持ったヴァイオリニストが弾かないと台無しだ。
  2. もしそうしたヴァイオリニストがいないなら頭の中で鳴らすのがいい。
  3. ブラームス自身がオケに編曲しようともピアノで再現を試みようとも原曲がもたらしてくれるほどの喜びは得られない。
  4. 原曲には劣るものの、よい方法を思いついた。
  5. それは左手だけで弾いてみることだ。
  6. 思いついてみれはおさまりの良い方法だ。
  7. まるでヴァイオリン奏者になったような気分になれる。

シュレーダー先生のことだ。これくらいのことはブラームスの手紙から簡単に読み取ったことだろう。この点に同意が出来ないという立場なら、これをそのまま引用するはずがない。だからブラームス本人に語らせることで自らは沈黙したのだ。

バッハの精神を反映するという意味で、単に音をオクターブ下げただけのブラームスが高く評価されているということに他ならない。

2019年8月24日 (土)

脱臼の痕跡

バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調の終曲シャコンヌをブラームスが左手用に編曲している件。右ひじを脱臼したクララを見舞うためと解説されているのだが、不審な点がある。我が家にあるクララの伝記3種だが、どれにも1877年6月あるいは7月に脱臼の記述がない。

ピアニストでなくとも右手の負傷は一大事のはず。伝記3種の著者が揃いも揃って見落とすものだろうか?

シャコンヌ左手版は脱臼への見舞ではないと考える方が自然かもしれない。

 

 

2019年8月23日 (金)

祖父ニコラウス

ブラームスの財産管理人にして親友。後半生の作品ほとんどすべてを出版したのがフリッツ・ジムロック。その人の祖父はニコラウスという。彼が1790年にボンで創業したのが楽譜出版社ジムロックだ。

おそるべしとはこのことで、1802年同社はバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを出版した。これがおそらく同作品集全曲の最古の出版だと目されている。現在のベルリン国立図書館所蔵の手書き譜のうち、当時バッハ本人の自筆と信じられてきた妻アンナ・マグダレーナの筆者譜を底本とした出版で、そこそこ売れたという。同筆写譜が妻の手によるものと判明したのは第二次大戦後だから、当時はまだ本人の自筆譜だと思われていた。

のちにベルリンに本社移転させたのはブラームスとの交友で知られる孫のフリッツというわけだ。名うての古楽譜収集家のブラームスとフリッツ・ジムロックの会話に「バッハの無伴奏パルティータ」が話題にならない方が不自然だ。

2019年8月22日 (木)

通説を疑う

連続して左手のためのシャコンヌについてのブラームスとクララのやりとりを紹介した。

クララでも右手を出したくなるのかなどと笑っている場合ではない。古来語られるシャコンヌの編曲の動機は、クララの右手の脱臼ではない可能性も浮上する。クララ自身がこの返信で述べているように「当地(キール)について右手で机の引き出しを開けようとした際に筋を痛めた」のが事実とするなら、ブラームスが脱臼の見舞いのために作曲したという通説と矛盾する。クララ自身が右手を痛めたのとほぼ同時に左手のシャコンヌが届いた偶然に驚いているからだ。

そういえば紹介したブラームスの手紙には「クララの脱臼」を気遣う文が欠けていた。右手を脱臼した見舞いにと「左手のためのシャコンヌ」を贈ったのなら、添えた手紙がそれに言及しないのはおかしい。
往復書簡集の出所など他に確認すべきことも多いが、やっかいな矛盾が噴出したものだ。

2019年8月21日 (水)

キールより愛を込めて

みすず書房刊行の原田光子訳「ヨハネスブラームス・クララシューマン友情の書簡」という本の226ページに、左手版シャコンヌをクララに贈った際に添えられた手紙が訳出されている。一昨日その全文を紹介した。本日は同書の227ページに記載されたそれに対するクララからの返信を抜粋して紹介する。

7月6日キール
 最愛のヨハネス。ここで私を待っていたのは素晴らしい驚きでございました。まあ何と言う不思議なことでしょう!ちょうど私は着いてすぐ机の引き出しをあけようとして、右手の筋を痛めましたのでシャコンヌは本当によい隠れ家でございました。あなただけにしか書けない作品、そして私がことに非凡だと思うのは、ヴァイオリンの効果をそのまま出しておいでのことです。どうしてお考えになられたのでしょうね。それが本当に不思議に思われます。私の指が終わりまで支えきれないのは事実です。同じ音が繰り返し奏せられるところにくると、つっかえてしまって、右手が助けに出たくなります。それ以外は別に克服しがたい難解さはありません。そして大きな楽しみです。
クララのおメガネにかなったことは間違いない。何よりも褒められているのはその着想だろう。クララをもってしても右手で手伝いたくなるとはほほえましい限りだ。
同じ手紙の後半で、イタリアの貴族に嫁いだ三女ユーリエの子どもが急死した事が報告されているが、まず作品への感謝と評価を忘れない健気なクララだ。

2019年8月20日 (火)

はやはや一年

ドイツバロックの巨匠4名の墓参を核としたドイツ旅行から帰って早くも一年だ。アイゼナハで置いて行かれそうになったセバスチャンは静かに暮らしている。

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持ち手の縫い付けが貧弱なのを改良されてよりアクティブになったのだが、旅行にお供させてもらえない。胸にはワルトブルク城の撮影許可のシールが貼られている。

2019年8月19日 (月)

クララへの献辞その2

みすず書房刊行の原田光子訳「ヨハネスブラームス・クララシューマン友情の書簡」という本の226ページに、左手版シャコンヌをクララに贈った際に添えられた手紙が訳出されている。以下にその全文を掲載する。

愛するクララ
私は長い間このように愉快な曲をお送りしなかったように思います。バッハのシャコンヌは私にとって最も素晴らしい、最も難解な音楽です。ひとつの方式、小さな楽器に「彼」は世界の最も深い思想と、力強い感動を書き込んだのです。私があの曲をもしも作ったと想像してみると、あまりに大きな精神の昂揚と感動に、きっと気が狂ったであろうと思われます。もし偉大なヴァイオリニストがそばにいないならば、単に頭で音にしてみる時に、一番よく鑑賞できるでしょう。
 
シャコンヌは、シャコンヌを基にして何かをやってみたい興味を刺激します。人間は音楽が鳴るのをただ楽しみのためにのみ、常に聴きたく思うものではありませんし、ヨアヒムがしじゅうそばにいるわけではありません。それでいろいろ試みてみるが、管弦楽やピアノではいつも私の喜びが濁らされてしまうのです。
それで一方法として、この作品のひじょうに縮小された、しかしよく似た純粋な喜びを作り出す工夫をしました…左手だけで弾いてみるのです。私にはときどきコロンブスの卵の話が足りないのです。各種の技巧やアルペジオ等が一緒になって、私にヴァイオリニストと感じさせるのはなかなか困難なことです。
どうか試みにお弾きください。あなたのために書いたのですから。しかしどうかお手を酷使なさいませんように、大きな音と力を要求しますが、始めの間は「messa voce」でお弾きください。過労におなりでなければ…きっとお楽しみになれることと思います。
では美しい海に、愛するあなたの秘書によろしく。そして早々にお返事を。
                                          あなたのヨハネス
以上だ。
1877年夏、ペルチャッハからクララの滞在するキールに宛てている。シュレーダー先生の引用が正確であることが見て取れる。音楽的見地に立った意訳も伺える。「つい編曲したくなる魔力」についてもさりげなく言及されている。バッハとクララへのリスペクトがこの編曲の根底にある。自らのバッハへの思いを楽譜に閉じ込めてクララに届けたいのという切実な思いを垣間見るようだ。これがシュレーダー先生にも届いているということもまた確実だ。

2019年8月18日 (日)

クララへの献辞

ヤープ・シュレーダー先生のご著書「バッハ無伴奏ヴァイオリン作品の弾き方」が165ページも終盤に差し掛かったところで、「より新鮮なアプローチは」という言葉とともにシャコンヌのブラームス編曲版への言及がある。ブラームス版に触れた17行の間、シュレーダー先生自身の評価はまったく示されない代わりに楽譜をクララに贈った際に添えられていた手紙のうち、ブラームスのシャコンヌへの思いを吐露する部分を抜粋して紹介している。

「シャコンヌは私にとって、最も美しく、かけがえのない作品の一つです。もし、この曲を聴くために、最高の技術と音楽性を持つヴァイオリン奏者をつかまえられないのなら、最も大きな楽しみは、きっとそれを心の中で聴くことでしょうね。オーケストラを使っても、ピアノにしても、私(ブラームス)がどんな方法で試みようとも、自分の喜びは台無しになります。ところが、もちろん格は落ちるものの、満足を得られるとても純粋な喜びをこの作品から手に入れることを可能にするたった一つの方法があることに気付いたのです。それは、私がこの曲を左手だけで弾くことです。このことはコロンブスの卵の逸話を思い出させます。テクニックの種類、アルペジオなどのすべてが同様の問題となる、つまり私自身がヴァイオリン奏者になったように感じさせてくれるのです」

・・・・・・・・・

シュレーダー先生はブラームスを評価しておられる。この献辞は多くの興味深い示唆を含んでいるからこそ、シュレーダー先生はこれだけを紹介するにとどめたのだ。他のアプローチに対する雄弁な筆は、ここでは沈黙を保つ。

泣きたいくらいだ。

2019年8月17日 (土)

読み手側の知識

ヤープ・シュレーダー先生のご著書「バッハ・無伴奏ヴァイオリン作品を弾く」という書物のことはすでにお話した。実に興味深い。2012年くらいに、シャコンヌの情報収集目的で購入した。ブラームス編曲のピアノ左手版のネタ仕入れの一環でもあった。当時はシャコンヌ関連の記述だけ読んで残りは斜め読み程度だった。

今バロック特集大詰めのここにきて、また読んでみると、記述内容への理解が数段深いことに気付いた。バロック特集の準備の過程で脳みそがもみほぐされたせいだ。必要に応じて引用されるバッハ以外の作曲家全てが「知っている人」になっていた。読み返してみるとバロック楽器中心の記述がなんの違和感もなく入ってくる。展開される論理がどこに向かっているのかわかるというのは、読書の効率を高めるのだとつくづく思う。

著者は最初からそういっているのに、こちらが気づけないだけと、思い知らされるばかりである。

げに尊きは予備知識。

2019年8月16日 (金)

ヤープ・シュレーダー

1925年生まれのオランダのヴァイオリニスト、指揮者だ。とりわけバロックヴァイオリン演奏の大家だ。演奏活動に加えて著述にも意欲を見せる。「バッハ無伴奏ヴァイオリン作品の弾き方」なる著書は、思うだに魅力的だ。無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全6曲をバロックヴァイオリン演奏の立場から解説した代物なのだが、興味深い指摘に満ち溢れている。とりわけシャコンヌに言及する部分の前段はシャコンヌ演奏史の小論文の様相を呈する。

18世紀初頭からのバッハ無伴奏ヴァイオリン作品の演奏史、受容史をコンパクトにまとめてくれている。

登場人物についての視点はバッハへの愛にあふれてはいるのだが、本質からの逸脱には容赦がない。言葉を慎重に選びながら言いたいことだけは必ず言い切る。シューマンやメンデルスゾーンによるピアノ伴奏パートの付与に対して、ヨアヒムの言葉を借りる形で慎重にダメ出しするし、ウィルヘルミやラフの管弦楽編曲に対しても、好意的に見てもそっけない範囲にとどまっているほか、ストコフスキー、斉藤秀雄らの編曲には言及もしない。わずかにライネッケの4手用ピアノ版については「非常に優れた」と賛意を示している。

ブラームスの親友で当時最大のバッハ研究家であるシュピッタが発したシャコンヌについての見解も紹介されている。「バッハがシャコンヌに盛り込もうとした着想を完全に再現するのはオルガンかオーケストラでない限り無理」というこの宣言は、多くの編曲版を生む「暗幕」になったと喝破する。

一方リストが発した「トランスクリプションに余りにも多くの素材を付け加えるべきではない。原曲に対して、婚姻関係における貞節のようなものを守ることが常にもっとも好ましい」という言葉を好意的に紹介する一方で、あられも無い編曲版にリストが賛辞を贈ったという鋭い指摘も忘れない。

もっとも手厳しいのはブゾーニ版に対するコメントだ。「マーラー風の過剰な表現」とバッサリだ。ブゾーニ自身の「オルガンを想定した」という言い訳に対しても「意味がない」ときっぱりである。地味なことだが、マーラーも暗に批判されている。

様式や奏法に言及した他の部分の説得力が抜群なために、この部分にも納得させられてしまう。

 

 

2019年8月15日 (木)

当然の疑問

無伴奏ヴァイオリンのためのソナタやパルティータが、19世紀後半のバッハ再興の時代には、伴奏つきで演奏される慣習があったらしい。ロベルト・シューマン編曲ならば全6曲のピアノ伴奏付与版のCDも出ているし、シャコンヌだけならメンデルスゾーン版もある。

しからば、同じケーテン時代に作曲されたとされる無伴奏チェロ組曲全6曲に、ピアノ伴奏を付与した猛者はいなかったのだろうか?気合を入れて探しているのだがなかなか見つからない。そもそも存在しないのか?

無伴奏チェロ組曲は20世紀に入ってカサルスが再発見するまで、半ば忘れられていたという来歴がある。その点が無伴奏ヴァイオリンとの大きな違いである。どこかに埋もれてはいまいか。

 

 

 

 

2019年8月14日 (水)

チェンバロでシャコンヌ

バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番のフィナーレに置かれたシャコンヌは、ヴァイオリニスト以外の演奏家の心を揺さぶるのか、ヴァイオリン以外の楽器で演奏されたCDも数多く見かける。チェロ版、ヴィオラ版などの弦楽器はもちろんだが、ピアノ版や管弦楽版だってポピュラーだ。バッハが後期バロックつまりチェンバロの全盛期を過ごした巨匠であることを思うときチェンバロ版にはそこはかとない説得力を感じている。我が家所有のチェンバロ版シャコンヌのCDを録音年順に列挙する。

  1. 1975年 グスタフ・レオンハルト 
  2. 1993年 スキップ・ゼンペ
  3. 2004年 曽根麻矢子
  4. 2014年 ジャン・ロンドー
バランスよく年代がばらけている。レオンハルトだけがト短調に移調されている。またレオンハルトはパルティータ全曲が収録さている。バッハのオリジナルにはところどころ、和音だけが記載されてアルペジオの形態は演奏者に負かされている部分がある。そこでは演奏者はつまり編曲者になる。聞き比べは大変興味深い。ましてや最新のロンドーはブラームス編曲版を弾いてくれている貴重版だ。

 

2019年8月13日 (火)

いやはや貴重

ブラームスがバッハのシャコンヌを左手ピアノ用に編曲してクララに捧げた話はよく知られている。CDも数多く出回っていて、そのうち5種類ほど持っているのだが、バッハが後期バロックのチェンバロ全盛期の作曲家であることを考えると、チェンバロ版も悪くないと思っていたこのほどめでたく入手した。

ジャンロンドーという演奏家が2014年に録音していた。
我が家所有のチェンバロ版3種と比較するとありがたみが身にしみる。バッハは時に和音だけを楽譜上に記して、アルペジオへの転写は演奏家任せとする場合がある。そこでは演奏者はつまり編曲者になる。ブラームス版はそうしたアルペジオ解釈もろとも楽譜に記されているから、演奏家はそれを音にするだけだ。
左手使用にこだわり右手の参加を封じたブラームス版最大の特徴は、原曲と同じニ短調を踏襲しながら、左手用にとばかりに音域をオクターブ下げている。最初の和音が打ち鳴らされた瞬間、その音の低さが腹の底に響く。ライナーノートには必要に応じて右手も使っていると断りが入れてある。正直というか良心的というか、好感が持てる。聞いていてもどこで右手を使っているかはさっぱり判らないとだけ告白しておく。

 

 

 

2019年8月12日 (月)

ニ短調ソナタBWV964

チェンバロ用のソナタだがこれは編曲物だ。オリジナルは無伴奏ヴァイオリンのためのソナタイ短調BWV1003である。編曲にあたり5度低いニ短調に移調されている。BWVナンバーが付与されてはいるもののバッハ本人の編曲ではないとする説もあるらしい。

まあでも楽しい。興味深いことに第二楽章のフーガにはオリジナルにないオブリガートが付加されているように聞こえる。ロマン派時代の編曲に比べて違和感なくしっとりと入り込んでくる。

2019年8月11日 (日)

アルヴァニス

ルイス・ドメトリウス・アルヴァニス(Louis Dometrius Alvais)は英国生まれのピアニストだ。英国生まれなのに、ラテン系のお名前だ。

 

我が家に驚異的なCDがある。バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第二番のシャコンヌのブラームス編をCDにしてくれている。この人が貴重なのは、シャコンヌだけではなく、シャコンヌを含む「5つの練習曲」すべてを収録してくれていることだ。超レアだ。

 

ブラームス編の「左手のためのシャコンヌ」の録音自体が数多いという訳ではない上に、「5つの練習曲」全曲ということになると学術的にも貴重な音源だ。

 

 

 

 

2019年8月10日 (土)

5つの練習曲

マッコークルの「ブラームス作品目録」の補遺「Anhang」のⅠaにはブラームスによる他作曲家作品の編曲が収められている。その第1番が「5つの練習曲」だ。原文では「Klavierstudien」となっている。

  1. F.Chopin Etude op25-2 Bearbeitung fur zwei Handen
  2. C.M..von Weber Rondo aus der Klaviersonate op24 Bearbeitung fur zwei Handen
  3. J.S.Bach Pesto aus der Sonate fur Violin solo BWV1001 Bearbeitung fur zwei Handen
  4. J.S.Bach Pesto aus der Sonate fur Violin solo BWV1001 Bearbeitung fur zwei Handen
  5. J.S.Bach Chaconne aus der Partita fur Violin solo BWV1004 Bearbeitung fur die linke Hand

1,2番はショパンのエチュードとウェーバーのロンドの編曲だ。「Bearbeitung」が「編曲」に相当する。わざわざ「2本の腕」用と断ってあるのは、第5番に左手専用の曲が置かれているからだ。元々何の断りも無ければピアノは両手で弾くものだから「fur zwei Handen」というお題目は珍しい。何を隠そうこの第5番がクララ・シューマン右手脱臼の際の見舞いにと書かれた作品なのだ。だから残る4曲には敢えて「両手で」と記されている。

5つが一まとめにされているのだが、不思議なことに出版の時期が2つに割れている。1,2番が1869年で、3~5番が1878年だ。元々1,2番で一組、3~5番で一組だった可能性が高い。3番と4番のタイトルをよく見て欲しい。実は、どちらの曲も無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番のフィナーレ4曲目のPrestoが元になっている。原曲がそのままピアノの右手に置かれているのが3番で、4番では原曲がそっくり左手に移っているに過ぎない。左右の手の完璧な独立性を追求する意図の反映だと思われる。

そして最後に右利きの諸君は、もっと左手も鍛えましょうとばかりに、左手専門の練習曲が置かれているという寸法だ。バッハの無伴奏ヴァイオリン作品に題材を求めているのは単なる偶然だろうか。

2019年8月 9日 (金)

Ticket to ride

都内神保町のとあるショップで購入した鉄道ボードゲームのタイトルだ。元々米国発祥のゲームをドイツ版に移殖したもの。ではあるのだがこれが完全日本語対応している。スマホ版はあるにはあるけれど日本語対応していない。うーんと端折っていうとドイツ鉄道を題材にした陣取りゲームだ。

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大人2~5名でプレイするとあるが、地図やカードが美しくそれだけで価値がある。かなりの出費だが、速攻で買い求めた。

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なんといってもボードゲームの命はボードである。それを実感するために、昨夏の旅行の行程をボード上で再現してみた。

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赤い客車を旅のルート上に並べてみた。宿泊した街には緑の人形を立てておいた。わかりにくいので角度つけた写真を載せる。

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右下橋の青い枠がミュンヘンだ。上端の赤→がデンマーク。中央やや左寄りがゴールのフランクフルトである。中央右寄りの赤枠は8月12日のゲルチュタール橋往復を表す。大きなボードを端から端までとなる。

 

 

 

 

2019年8月 8日 (木)

大きなお世話

記事「ブゾーニの辞書」で言及したシャコンヌのブゾーニ編曲について、素人の私ごときがブログでごちゃごちゃ言うのは、まさに大きなお世話だ。

単なるブラームス愛好家としては、名高いバッハのシャコンヌの編曲だから、ブラームス編と比較したくなるのは自然で、行きがかり上ブラームス版を賛美するに過ぎない。「良し悪し」ではなく「好き嫌い」の表明だ。

バッハへのアプローチとして賛同できるのはブラームスの方だということを回りくどく言っているだけである。ブゾーニとブラームスの立場の違いだけだ。CDショップの店頭を見る限り、シャコンヌの編曲物の棚では、ブラームス版よりもブゾーニ版の方が品ぞろえがよいことがほとんだ。ピアニストのチョイスとしてはブゾーニ優勢だ。演奏家のテクが効率よく伝わるという側面もあるだろう。その視点にたってなおブラームス版を選ぶピアニストは稀だ。

一方のブラームス版の成り立ちはもっとパーソナルだ。愛するクララの嗜好によりそった贈り物なのだ。クララのバッハ観をよく知るブラームスがおメガネにかなうようにと編曲したもので今更クララのテクの確認は必要ない立場だ。そういうことがもろもろ反映した両者の楽譜が、どちらも手軽に入手可能なのだから、演奏者は自分のニーズ、好みに合わせて選べばいい。

大きなお世話と知りつつ私は、断固ブラームス派。

 

 

2019年8月 7日 (水)

ブゾーニの辞書

記事「ほとんどトロンボーン」「出来る限りのクレッシェンド」で、シャコンヌの楽譜上に配置した音楽用語を手掛かりにブゾーニのシャコンヌ観を想像してみた。そのつもりで同編曲の楽譜上に存在する気になる用語を初出順に列挙してみる。

  • 001 Andante maestoso,ma non troppo lento 作品冒頭の指定。
  • 008 molto energico 付点のリズムが始まるところ。
  • 012 sempre assai marcato  「常に十分はっきりと」
  • 032 poco espr.
  • 032 quasi f 前後を「p」にはさまれて。
  • 040 leggiero ma marcato  相矛盾する表情を「ma」で結びつけ。
  • 042 poco cresc
  • 043   piu cresc
  • 075   crescendo possibile
  • 105   crescendo non troppo 
  • 117   mit Bedeutung  「意味深さをもって」
  • 137   quasi Tronboni
  • 149   un poco pesante
  • 153   meno f
  • 217   piu espressivo

ざっと気づいただけでこんな感じ。よく言えば「手取り足取り」、悪く言えば「箸の上げ下ろしから」だ。そもそもシャコンヌを含む無伴奏ヴァイオリン作品オリジナルの楽譜には、音楽用語は極端に少ない。テンポだって「知っとるやろ」とばかりに無表示だ。演奏に転写する際には演奏者のスタンスが求められる。それこそが解釈なのだ。楽譜に向き合い、その意図を聴衆にどう伝えるかは、演奏者に任されるはずなのだが、ブゾーニはその部分で演奏者を信用していない。だから「ああせい」「こうせい」と雄弁になる。

「poco」「meno」「piu」を駆使した繊細な指定が目立つが、元来それは演奏者の感性依存の領域だ。バッハの意思尊重でない証拠だと思う。

 

 

2019年8月 6日 (火)

驚きのコンサート

1835年8月6日だから、今から184年前の今日のことだ。

 

ライプチヒ聖トマス教会で、オルガン演奏会が開かれた。演目は下記の通り。

<第一部>

  • バッハ 前奏曲とフーガ 変ホ長調BWV552
  • バッハ コラール「装え、おお愛する魂よ」BWV654
  • バッハ 前奏曲とフーガ イ短調BWV543

<第二部>

  • バッハ パッサカリア ハ短調BWV582
  • バッハ パストラーレ ヘ長調BWV590
  • バッハ トッカータとフーガ ニ短調BWV565

堂々たるオールバッハプログラムだ。シューマンはこの演奏会の様子をクララに書き送っている。オルガニストはメンデルスゾーンである。メンデルスゾーンの発案によるバッハ記念碑建立のためのチャリティ―演奏会。この手のチャリティーコンサートが3度あったうちの初回だ。

これによって建てられたのが以下の記念碑だ。

 

20180811_061910
20180811_061618
すぐそばにメンデルスゾーンの像もある。

ブラームスは2歳そこそこだった。

2019年8月 5日 (月)

出来る限りのクレッシェンド

シャコンヌのブゾーニ編のお話。75小節目に「cresc.possibile」とある。和訳するなら「可能な限りクレッシェンド」としかなるまい。「Molt cresc」では用が足りないというブゾーニの意識の表れと解して間違いない。

気持ちはわかる。

が、しかしだ。こんなことをしていてはバッハの原曲のイメージからどんどん遠ざかる。もともとヴァイオリン1本という編成だ。オケはもちろんピアノに比べてもダイナミクスのコントラストはつきにくい。それでいてそうした制約を物ともせぬ深みこそが目指す境地だ。

シャコンヌ観、バッハ観の違いだとしか申し上げようがない。ブゾーニが目指したのは「シャコンヌによる超絶技巧練習曲」だったとか思えない。弾きこなせる人のピアノテクが聴き手に伝わるという点では、OKだ。バッハの原曲の良さを伝えるという切り口になってはいるまい。

 

 

2019年8月 4日 (日)

ほとんどトロンボーン

ブゾーニによるシャコンヌのピアノ編曲の中、137小節目と申すより、シャープ2個に転調するところに、「quasi Tronboni」と記されている。

この場所が大好きなだけに気になる。

ブゾーニとて大好きなのだろう。でなければこのような編曲に取り組むはずがない。ニ長調に転じるこの印象的な場所での演奏家へのメッセージに「ほとんどトロンボーンで」と記したのだ。むろん原曲にはそんな記載があるはずもないし、ブラームスの左手用への編曲と対極をなす。

 

 

2019年8月 3日 (土)

フルッチョ・ブゾーニ

イタリア・エンポリ生まれのピアニストで作曲家。ウイーンを訪れたこともあるらしく、ブラームスと面会したという記録もある。ブラームスに長く親しんでいると、時々出くわす名前である。バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌのピアノ編曲は有名である。左手1本用にしてしまったブラームスと違って、ブゾーニは両手用だ。これはもうキャラの違いという他はないのだが、華麗な編曲である。ブラームスを聴き慣れてしまった耳には、少々毒でさえある。同じ作品を編曲しているということで、興味を持ったのが、ブゾーニとの接点その1であった。

接点その2はヴァイオリン協奏曲だ。第一楽章には演奏者によるカデンツァが挿入される。古今のヴァイオリニストがカデンツァを奉っているが、このブゾーニもピアニストでありながらカデンツァを作っている。なんとなんとティンパニやコントラバスまで応援に引っ張り出してのカデンツァである。

そして接点その3。ブラームス最後の作品と目される「オルガンのためのコラール前奏曲」作品122をピアノ独奏用に編曲している。我が家にCDがあるのは、このうちの4,5,8,9,10,11の6曲だ。編曲がこの6曲だけなのかどうかは実は把握できていない。目から鱗の編曲だ。聴けば聴くほどインテルメッツォに聞こえる。ブラームスへの深い理解なしにはあり得ない編曲だと思う。「私だけの秘密のインテルメッツォはいかが」という感じが充満している。

接点1を別とすれば、このブゾーニという人はブラームスが好きだったのではないかと思えて仕方がない。接点2のヴァイオリン協奏曲はともかく、接点3のオルガン作品をわざわざ編曲するとは、並の傾倒ぶりではない。

2019年8月 2日 (金)

オノフリ

エンリコ・オノフリさんはイタリアのヴァイオリニスト。ビオンディ、カルミニューラとならぶイタリアンバロックヴァイオリンの三羽烏だと思っている。本領はイタリアンバロックにあるのだが、バッハにも貴重なCDがあった。無伴奏ソナタとパルティータのうち、ト短調ソナタとニ短調パルティータ、ホ長調パルティータが収録されている。添付されているライナーノートには自作の解説が記されている。もちろん和訳したものだ。一連のバッハの無伴奏作品に関する考えが赤裸々に語られている。

名高いシャコンヌの中間部、ニ長調に転じるとろこの冒頭を、シャコンヌの権威ヨアヒムがピアニシモで弾いたことが現代に至るも踏襲されていると。ヨアヒムへの敬意を慎重に強調しながらも、決然と異を唱える。当時の状況をもっと反映させた演奏をというすさまじい意欲が感じられる。

なんとなんと、ブラームスによるシャコンヌの左手ピアノの編曲に言及する。シャコンヌのオリジナルには、楽譜上では和音で書かれながら、実際にはアルペジオと指定された箇所の処理について、ブラームスの実直な編曲がとても参考になったと告白している。いやはやうれしい。

 

 

 

 

2019年8月 1日 (木)

編曲物ランキング

バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番のフィナーレ・シャコンヌは、あまたの編曲が試みられてきた。我が家にもいくつかコレクションされている。それらを一覧化しておく。

  1. ピアノ伴奏付与版 メンデルスゾーンとシューマンの二種類のCDが我が家にある。まあ学術的な興味を別にすれば「ふ~ん」って感じである。眼から鱗でもない。無伴奏ヴァイオリンによる原曲を不完全とみなし、「拙者が補ってしんぜよう」という立場なのだが、当時主流の考えとは言え不用意なかんじがする。
  2. ヴィオラ独奏版 これは5度低いト短調に移調されているのだが許容できる。響きが丸くなる。バロックヴァイオリンのしなやかさに少し近づくかも。
  3. ヴィオラ四重奏版。弦楽器が4つの弦を鳴らすために必要な発音に要する微妙な間が無いのがかえって不自然に映る。
  4. バロックヴァイオリン 楽譜上の操作はないから編曲とは言えまいが一応。現代ヴァイオリンの演奏に慣れた耳にはやわらかくはかなげとも映る。「本来こうだったんです」と理屈では判っていても脳味噌がついて行かないこともしばしば。学術的興味や知的好奇心とはまた別の話だ。
  5. チェロ これは場違い。奏者の腕前は確かなのだろうが、無伴奏チェロ組曲で得られる喜びには及ばない。バッハが楽器の特性に考慮して作曲しているのだと痛感させられるばかりだ。
  6. バロックチェロ 基本的にはチェロと同じ。怖いもの見たさ。
  7. 管弦楽版 ストコフスキー版と齊藤秀雄版。たまにはいいかも。
  8. チェンバロ版 レオンハルト編曲。ト短調に移調されているがこれはいける。イメージよりは音を大胆に加えているけれど、すんなり入ってくるから不思議だ。
  9. ギター版 エリオット・フィスク編曲 意外と申しては失礼だが、なじむ。
  10. ピアノ版 ブゾーニ編曲 「ぼく上手でしょ」というアピールにはもってこいだけれど、違和感もある。
  11. ピアノ版 ブラームス編曲 オクターブ下げただけ。左手限定というアイデアが秀逸。心に染みる。
  12. チェンバロ版 ブラームス編曲 上記11をチェンバロで弾いたという代物。これが結構いける。

 

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