通説を疑う
連続して左手のためのシャコンヌについてのブラームスとクララのやりとりを紹介した。
クララでも右手を出したくなるのかなどと笑っている場合ではない。古来語られるシャコンヌの編曲の動機は、クララの右手の脱臼ではない可能性も浮上する。クララ自身がこの返信で述べているように「当地(キール)について右手で机の引き出しを開けようとした際に筋を痛めた」のが事実とするなら、ブラームスが脱臼の見舞いのために作曲したという通説と矛盾する。クララ自身が右手を痛めたのとほぼ同時に左手のシャコンヌが届いた偶然に驚いているからだ。
そういえば紹介したブラームスの手紙には「クララの脱臼」を気遣う文が欠けていた。右手を脱臼した見舞いにと「左手のためのシャコンヌ」を贈ったのなら、添えた手紙がそれに言及しないのはおかしい。
往復書簡集の出所など他に確認すべきことも多いが、やっかいな矛盾が噴出したものだ。
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