ヤープ・シュレーダー
1925年生まれのオランダのヴァイオリニスト、指揮者だ。とりわけバロックヴァイオリン演奏の大家だ。演奏活動に加えて著述にも意欲を見せる。「バッハ無伴奏ヴァイオリン作品の弾き方」なる著書は、思うだに魅力的だ。無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全6曲をバロックヴァイオリン演奏の立場から解説した代物なのだが、興味深い指摘に満ち溢れている。とりわけシャコンヌに言及する部分の前段はシャコンヌ演奏史の小論文の様相を呈する。
18世紀初頭からのバッハ無伴奏ヴァイオリン作品の演奏史、受容史をコンパクトにまとめてくれている。
登場人物についての視点はバッハへの愛にあふれてはいるのだが、本質からの逸脱には容赦がない。言葉を慎重に選びながら言いたいことだけは必ず言い切る。シューマンやメンデルスゾーンによるピアノ伴奏パートの付与に対して、ヨアヒムの言葉を借りる形で慎重にダメ出しするし、ウィルヘルミやラフの管弦楽編曲に対しても、好意的に見てもそっけない範囲にとどまっているほか、ストコフスキー、斉藤秀雄らの編曲には言及もしない。わずかにライネッケの4手用ピアノ版については「非常に優れた」と賛意を示している。
ブラームスの親友で当時最大のバッハ研究家であるシュピッタが発したシャコンヌについての見解も紹介されている。「バッハがシャコンヌに盛り込もうとした着想を完全に再現するのはオルガンかオーケストラでない限り無理」というこの宣言は、多くの編曲版を生む「暗幕」になったと喝破する。
一方リストが発した「トランスクリプションに余りにも多くの素材を付け加えるべきではない。原曲に対して、婚姻関係における貞節のようなものを守ることが常にもっとも好ましい」という言葉を好意的に紹介する一方で、あられも無い編曲版にリストが賛辞を贈ったという鋭い指摘も忘れない。
もっとも手厳しいのはブゾーニ版に対するコメントだ。「マーラー風の過剰な表現」とバッサリだ。ブゾーニ自身の「オルガンを想定した」という言い訳に対しても「意味がない」ときっぱりである。地味なことだが、マーラーも暗に批判されている。
様式や奏法に言及した他の部分の説得力が抜群なために、この部分にも納得させられてしまう。
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