定家神社
先日、群馬県高崎市にある定家神社に行ってきた。百人一首の撰者として名高い歌人・藤原定家が祀られている。
退屈していたセバスチャンを連れて行った。あたりは佐野という。
駒止めて袖打ち払う陰も無し佐野の渡りの雪の夕暮
この歌にある佐野らしい。
よい雰囲気。季節の違いはあるけれどお歌の通りの夕暮時だ。しかし、この説明書きにも境内にもお歌の情報がない。もったいない。定家は、この辺りに滞在したか通過したか。すぐそばを流れる烏川と中山道の交点にあるのが「佐野の渡し」だということだ。近所にはその名の通りの無人駅がある。
すぐ先が烏川になっている。
すぐそばに今時珍しい木製の橋。佐野橋というらしいが表示が無い。生活の足に徹している感じ。
下流。左手の森の奥に定家神社がある感じ。
上流。上信電鉄の鉄橋。
定家のお歌は一顧だにされていない感じがするが、ここで夕暮を詠む必然性だけは実感できた。清少納言「枕草子」以来の「秋は夕暮」という常識を破って「雪の夕暮」と結んだ理由は不明のままだ。「秋の夕暮」と結んでも秀句の位置づけは揺らぐまい。
車止めてお歌を偲ぶ跡もなし佐野の渡りの秋の夕暮
字余り。
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