エンデニヒの見舞客
1854年2月27日ライン川に投身したロベルト・シューマンは、一命を取り留めたものの、3月4日にはボン郊外エンデニヒにあった療養所に収容される。精神科医フランツ・リヒャルツ博士が1818年に開設した療養所で、当時としては最先端を行く施設だった。夫人であるクララはリヒャルツ博士の方針で面会を認められなかったため、ブラームスが見舞いを買って出る。
- 1854年3月31日
- 1854年8月13日
- 1855年1月12日
- 1855年2月23日
- 1856年4月10日 地名を熱心に羅列しているのを目撃。
- 1856年6月08日 シューマン生前最後の誕生日。大判の地図を贈る。
- 1856年7月23日 このまま臨終まで滞在。埋葬は31日。
以上7回。おそらく最多の見舞い回数。そのたびにクララに様子を報告している。
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