クララの基盤
例によって音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第3巻25ページからの引用。クララ・シューマンの4女オイゲーニエの回想だ。
オイゲーニエはピアノ教師として、母クララの芸術的基盤に言及する。
幼い頃からシューマン、ショパン、メンデルスゾーンとともに成長したと述べる。この3人の生年は1809年と1810年に集中する。やがてこれにバッハとベートーヴェンが加わることになる。18歳でウィーンに赴き絶賛される時点ですでにこのような音楽的基盤が確立していたのだ。
ブラームスはまさにそうした基盤に立つクララの前に現われたのだ。それ以降ブラームスが出版前の草稿を送って批評を乞うとき、クララはいつもそうした基盤に立ち返ってブラームスの作品と向き合った。
その基盤に照らして自分なりの境界線を引き、作曲家やその作品を判断した。その姿勢は年齢とともに頑なになっていた。もちろんブラームスはいつも境界線のこちら側にいた。
ワーグナー、リスト、ブルックナーは線の向こうだった。そして私にとって悲しいことにドヴォルザークもあちら側だった。
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ブラームスの曲が大好きです。クララという女性にも大変興味があります。ブラームスの辞書を購入したいです。よろしくおねがいいたします。
投稿: 豊平 加容子 | 2019年10月30日 (水) 12時32分