コンサートツアー
クララ・シューマンにとってロベルトの入院後最初の演奏会シーズンとなった1854年秋の演奏会の記録を調べてみた。
- 10月16日 ハノーファー 宮廷演奏会
- 10月19日 ライプチヒ ゲヴァントハウス
- 10月23日 ライプチヒ ゲヴァントハウス
- 10月25日 ワイマール リストと共演
- 11月03日 フランクフルト・アム・マイン
- 11月04日 フランクフルト・アム・マイン
- 11月13日 ハンブルク フィルハーモニーとの共演
- 11月15日 ハンブルク・アルトナ
- 11月16日 ハンブルク
- 11月18日 リューベック
- 11月21日 ブレーメン
- 11月23日 ベルリン
- 11月29日 ブレスラウ
- 12月01日 ブレスラウ
- 12月04日 ベルリン ヨアヒムとジョイント
- 12月07日 フランクフルト・アム・オーデル
- 12月10日 ベルリン ヨアヒムとジョイント
- 12月16日 ベルリン ヨアヒムとジョイント
- 12月20日 ベルリン ヨアヒムとジョイント
- 12月21日 ライプチヒ ヨアヒムとジョイント
いやはや意欲的である。1月以降はオランダにも足を伸ばすなど、ほぼこの調子で4月までのシーズンを乗り切った。これにより5000ターラーつまり15000マルクの収益があったとされている。
上記7から9の前後ハンブルク滞在の折、クララはブラームスの実家を訪れ、母ヨハンナから家族同然の歓待を受けている。
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