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2019年10月13日 (日)

クララの物言い

1864年ブラームスの父ヨハン・ヤーコプは念願かなってハンブルクフィルハーモニーのコントラバス奏者の地位を得た。ハンブルクフィルハーモニの芸術監督はシュトックハウゼンで、ブラームスの友人だから、情実が酌量されたと後世の人々は憶測する。結果練習量を増やさねばならなくなった。家でも練習するということだ。これが年老いた妻とのいざこざの原因になるのだから困ったものだ。ブラームスはいろいろてを尽くしたがとうとう両親の別居に同意する。

ちょうどウィーンジンクアカデミーの職を辞したばかりで、まだドイツレクイエム完成前でもあり、ハンガリア舞曲もブレークする前だから、あまりお金が無い頃だ。

年老いた母は姉のエリザベートと同居したが、姉は病弱であった。母と姉の養育費の負担がブラームスに重くのしかかった。ブラームスの窮状を見かねたクララは、驚くべき行動に出る。なんと、別居により一人暮らしを始めた父のヨハン・ヤーコプに物言いをつけたのだ。「あんたの息子ヨハネスは、あんたが考えるほど収入が無い」「少しは妻や娘の扶助に力を貸せ」というものだ。それでも事態はあまり好転した形跡は無いが、ブラームスはけなげにも母と姉に仕送りを続けたばかりか、父親への送金もためらっていない。

後年ブラームスの楽壇での地位は押しも押されもせぬものとなり金の心配はいらなくなる。家族への援助は当然と考えていたが、加えて苦しかった頃心配をかけたクララにも援助を申し入れ、感謝を形にして返している。

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