ケアレスミス
受験の大敵。実直に注意力を高める訓練をするか撲滅は無理と諦めるかで、心構えも対処方法も違うだろう。
1881年61歳のクララ・シューマンは、夫ロベルトの作品全集の刊行にこぎつける。作品の普及はクララの念願だったから、この刊行は一つの区切りであった。ところがこの時、らしくないケアレスミスが発生した。漏れの無い全集のはずだったが、小品がいくつか収載から漏れたのだ。
その小品の中には、ヨハネス・ブラームスが校訂した作品が混じっていたことが、後になって誤解を生む元になった。刊行された全集を手に取ったブラームスは言葉を失う。自分が携わった作品が漏れていたからだ。おそらくその場でクララに問い合わせれば傷口は小さくてすんだ。しかしブラームスは「クララは夫ロベルトの作品全集にブラームスの名前が記されることを拒んだに違いない」と邪推し、この無念を呑み込んだ。
その10年後、シューマンの交響曲の出版に関して、クララとの間に決定的な誤解が起きた。二人は絶交状態になったのだ。1892年にop118を切り札として、仲直りしたのを機に、ブラームスは勇気を出して10年前の収載漏れについてクララに問いただした。
今度はクララが言葉を失う番だった。完全なケアレスミスだ。けれどもクララにも言い分はある。「私がそんなにみみっちい女だと思っていたの?40年もつきあってきて」ってなもンである。あるいは「全集への収載の可否は芸術的な価値の有無だけが判断基準に決まっているではないか」「何故もっと早く教えてくれない」「水くさい」というような思いもあっただろう。
クララは即座に全集からの遺漏を集めた補巻の刊行を決断する。この補巻について、編集はおろか序文の執筆までもブラームスに依頼するのだ。10年の誤解を解く切り札だ。ブラームスはもちろんこの付託に全身全霊をもって答え1893年には刊行にこぎつけた。この出来事以降、クララが没するまで、クララとブラームスの間に一切の誤解揉め事が起きなくなったという。
嬉しいのだが、とても切ない。
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