蔵書整理
1854年3月ブラームスは、シューマン投身の知らせを聞いてデュッセルドルフに急行する。シューマンは程なくエンデニヒの病院に収容された。この後1856年10月まで男手の無くなったシューマン一家に献身することになる。この前後に作品発表の空白が出来ていること周知の通りである。
家事を手伝うブラームスは、その一方でシューマン家の膨大な蔵書整理を買って出た。ロベルトはまだ存命だから遺産整理ではあり得ない。ロベルトが収集した書物や楽譜を自由に見てよろしいという許可と引き換えに自ら申し出たのだろう。
ブラームスはかなりな読書好きだったのだ。実家が貧しかったこともあって、蔵書と呼びうるようなまとまった量の書物は持っていなかったから、むさぼるように書物と向き合ったのだ。
これを見ていたクララは、その後次第に折を見てブラームスに書物を贈るようになる。
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