もう一人のユーリエ
シューマン夫妻の3女ユーリエに、ブラームスが密かな思いを寄せていたことは、「アルトラプソディ」op53作曲のエピソードと共に語られて有名だ。最も色濃く母の面影を受け継いだ娘だったが1871年26歳で他界した。
シューマン夫妻の子供たちの中で結婚したのは3名。上記のユーリエの他に、次女エリーゼ、三男のフェルディナンドだ。三男フェルディナンドの第一子長女は1874年に生まれていて、ユーリエと名付けられた。クララの孫の中では唯一の女の子だ。クララの三女ユーリエを失った悲しみが癒えぬ中生まれた女の子に、ユーリエと命名するのはありそうな話である。
病弱だったフェルディナンドに代わってクララが養育費を負担した。クララから孫娘への手紙は出版されていて日本語でも読める。
このユーリエは、ユーリエ叔母様と違って長生きした。亡くなったのは1955年のことだ。私の生まれるわずか5年前のことである。ブラームスはクララの唯一の孫娘がユーリエという名前であったことを知っていたと思う。
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