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2019年11月22日 (金)

若気の至り

欧州楽壇を二分する論争の渦中にあって、片方の陣営の首領と目されるブラームスは、自作の発表以外には沈黙を守った。自説の主張にジャーナリスティックな手段を用いなかったことは割と知られている。

ところが例外もある。ロベルト・シューマンの薫陶を受けて間もない頃、「新ドイツ派への声明文」がそれである。詳しい伝記には和訳が載っていることも多い。遠回しな表現になってはいるが、平たく申せば檄文だ。「おめ~らのは音楽じゃねえ」に近いニュアンスだ。

音楽作品を文章で表すのは難しい。体操、シンクロナイズドスイミング、フィギアスケートなどの採点競技で、しばしば議論になるのと同様だ。良い悪いを点数化したり言葉にしたりすることは、難しいのだ。

愛好家が集まって単に「好き嫌い」を肴にビールを呑んでいる分には微笑ましいのだが、「宣言文」という形で署名の上公開すりとなると物騒な話になる。だから案の定その宣言文に署名したのはブラームスを入れてもたったの4名だった。このときの後味の悪い経験がトラウマにもなったのだろう。壮年期以降のブラームスが、ジャーナリスティックな手段を選ばなくなるのは自然な成り行きだ。

ブラームスだって宣言文のリスクは知っていたと思う。そんなことをすれば恰好の攻撃目標にされてしまう。それでは何故。

おそらく、ロベルト・シューマンが新ドイツ派から邪険な取り扱いをされたのだ。あるいはクララも含んでいたかもしれない。ブラームスからすれば「先生を侮辱するのは許せない」というノリだ。音楽観の違いを文章で攻撃したところで、水掛け論になるのが関の山だ。新ドイツ派の音楽のありように対する批判ではあり得まい。

ロベルトが創刊した「音楽新報」25周年の式典に創刊者の妻クララが招待されなかったという事件があった。無論ブラームスもヨアヒムも呼ばれていない。このとき音楽新報の主筆はまさに新ドイツ派の論客だった。恩師であり創刊者でもあるシューマンに対する仁義を欠いた対応に、若きブラームスが義憤を募らせたと感じる。

 

 

 

 

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