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2019年11月 6日 (水)

クララの洞察

音楽之友社刊行の作曲家◎人と作品シリーズの「ブラームス」の中、192ページに興味深い記述がある。ブラームスの後期ピアノ小品についてのクララの見解だ。以下に丸ごと引用する。

後期のこれらのピアノ小品集に関して、クララは日記の中でこのように語っている。「これらの作品は達者な指の技術という点では難しくないが、知的な技術の点でははっきりとした理解力を必要とする。ブラームスが思っていたとおりのことを表現するには、彼のことをよく知っていなければなりません。」この小品の音の内側に込められた。ブラームスの内面性の重みをクララはよく知っていたのである。含蓄が深い。

あくまでもクララのレベルから眺めての話である点割引も必要だが、単に指が回るだけではダメだと言っているのだ。

「彼-ブラームス-を良く知らなければならない」とはいったい何だろう。ブラームスの伝記的事項や作品の生まれた時代背景、あるいは当時のブラームスの事情にまで知識を広げておいてもけして無駄にはなるまい。クララの記述にこうした点も含まれているとは思うが、一番言いたいことは、作品への理解だと思う。

良い言葉がある。

譜読みだ。クララはここでは、「譜読みそのもの」と、「譜読みの結果を音に転写する技術」を分けて考えていると思う。「譜読みの結果を音に転写する技術」が「達者な指の技術」に相当する。それはそこそこでいいから、譜読みを通じてブラームスの内面を思いやれと言っていると感じる。

「譜読み完璧、指回らず」の演奏を闇雲に擁護するつもりは毛頭無いが、覚えておきたいエピソードである。

 

 

 

 

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