それぞれの後始末
1887年ブラームスとクララが出会ってから34年経ったある日、2人は過去に届けた手紙をお互いに返却しあう。何のために。若い情熱に溢れる手紙を読み返して感慨にふけるためではない。ズバリ廃棄するためだ。
音楽学が歩みを始めたこの時代、ブラームスは気鋭の音楽学者と盛んに交流を持ったから、後世の研究家たちが作曲家をどのように研究するのか知り尽くしていた。あるいは、先輩作曲家たちについて書かれた伝記を手にとってみると、好ましからざる記述に出会うこともしばしばだった。手紙はもっとも注意深く取り扱われるべきリスクだと考えていても不思議ではない。
おそらくクララも同意見だった。
差出人の手許に戻ったそれらの手紙は、差出人自らの手で廃棄された。少なくともブラームスにとっては、手紙の現物などなくても、それらの記憶は永遠だったに違いない。クララの長女マリー・シューマンの証言によればクララはそれらの手紙を燃やしたそうだ。一方のブラームスは、それらをライン川に流したそうだ。
詮索は2人の意思に反する。
« せめてもの思いやり | トップページ | もう一人のユーリエ »
コメント