英語の立場
クララ・シューマン唯一の孫娘はユーリエという名前だった。ユーリエは13歳の頃からクララの手回しでベルリンの寄宿学校に通った。クララは手紙でユーリエにあれこれと書き送る。
その中に面白い記述があった。語学の習得に関してフランス語と英語を比べている。クララは「教養として求められるのはフランス語だが、現実の社交には英語が必要となるケースが多い」と述べている。大英帝国の威光あるいは産業革命の効果かなどと大げさになる必要はない。クララの演奏旅行の回数はフランスより英国の方が多い。英国出身の弟子も多い。そうした経験に照らして言っているのだろう。当代屈指のピアニストで国際経験豊かなクララの言葉だから、説得力もある。
現実にドイツの北部、ハンブルクやブレーメンなどでは英語でのコミュニケーションもあったのだと思う。
そのクララの弟子フローレンス・メイは回想録の中で、ブラームスが少しなら英語を理解できたと証言している。会話は無理ながら、何を言っているかは理解出来たと解されている。英国訪問を断固拒否したブラームスの英語力が想像できる。
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