課外授業
1878年59歳のクララは、フランクフルト音楽院の教授に就任する。当時の院長はヨーゼフ・ラフだった。彼はリストの崇拝者だったが、ブラームスの奨めもあってクララはそこでクラスを持った。教授陣の中で女性はクララ一人だったが、当代最高のピアニストにしてロベルト・シューマン夫人の威光は、絶大だった。リスト崇拝者の院長にも一目置かれる存在となった。シューマンはもとより、メンデルスゾーン、ショパン、ブラームス、ベートーヴェンおよびバッハの諸作品解釈の第一人者というのが衆目の一致するところであったから、彼女のクラスに入りたい学生が欧州中からやってきた。
あまりの人気でクララのクラスは狭き門であったから、長女マリーを含む有能な弟子による代講もあったらしい。
晴れてクラスに迎えられた弟子たちには、夢のような特典があった。フランクフルトの私邸に招かれて、家庭演奏会に臨むことが出来たのだ。そこは並みの家庭ではないのだ。ヨアヒムやシュトックハウゼンのような超一流の音楽家たちが普通に出入りするところだ。そして何よりもブラームスもそのメンバーの一人だった。そこで繰り広げられるアンサンブルや会話は、お金に代え難い課外授業だったに決まっている。
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