ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« どんぶり勘定 | トップページ | ドレスデナー »

2019年12月 2日 (月)

徒歩旅行

さまざまな移動手段がある中、あえて徒歩を選んだ場合に「徒歩旅行」と称されることになる。徒歩が当たり前だった時代にも経路によっては船という選択肢が存在した。ブラームスの時代はというと、飛行機と自動車だけは一般的でなかったが、船、馬車、自転車、鉄道は選択肢として十分な可能性があった。1853年以降ブラームスは立て続けにライン地方を訪れている。

  1. 1853年8月26日 単独
  2. 1854年8月10日 ユリウス・オットー・グリムと。
  3. 1855年7月15日 クララと。
  4. 1857年7月12日 クララの遺児のうち男の子、クララ、姉エリーゼと。
  5. 1868年9月4日  父と。

このうち1番2番3番が「徒歩旅行」だったと明言されている。

ライン地方は現在でもドイツを代表する観光地だ。そして何よも何よりもドイツを代表するワイン産地でもある。これらに言及する伝記の記述が具体的な地名を明記していないのは残念というほかは無い。もちろんブラームスご一行とワインの関わりについても言及されない。まだブレーク前のブラームスに高級ワイン三昧は難しいかもしれないが、真夏のこの地区に徒歩で足を踏み入れながらワインを口にしていないとなるとそのほうが余程不自然だ。

5番目は書物によっては「ラインガウ」と明記されている。1865年という最優良ヴィンテージのワインを賞味出来た可能性がある。ドイツレクイエム初演成功とハンガリア舞曲のブレークで少しは金回りが良くなっていたハズだ。

 

 

« どんぶり勘定 | トップページ | ドレスデナー »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 徒歩旅行:

« どんぶり勘定 | トップページ | ドレスデナー »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ