徒歩旅行
さまざまな移動手段がある中、あえて徒歩を選んだ場合に「徒歩旅行」と称されることになる。徒歩が当たり前だった時代にも経路によっては船という選択肢が存在した。ブラームスの時代はというと、飛行機と自動車だけは一般的でなかったが、船、馬車、自転車、鉄道は選択肢として十分な可能性があった。1853年以降ブラームスは立て続けにライン地方を訪れている。
- 1853年8月26日 単独
- 1854年8月10日 ユリウス・オットー・グリムと。
- 1855年7月15日 クララと。
- 1857年7月12日 クララの遺児のうち男の子、クララ、姉エリーゼと。
- 1868年9月4日 父と。
このうち1番2番3番が「徒歩旅行」だったと明言されている。
ライン地方は現在でもドイツを代表する観光地だ。そして何よも何よりもドイツを代表するワイン産地でもある。これらに言及する伝記の記述が具体的な地名を明記していないのは残念というほかは無い。もちろんブラームスご一行とワインの関わりについても言及されない。まだブレーク前のブラームスに高級ワイン三昧は難しいかもしれないが、真夏のこの地区に徒歩で足を踏み入れながらワインを口にしていないとなるとそのほうが余程不自然だ。
5番目は書物によっては「ラインガウ」と明記されている。1865年という最優良ヴィンテージのワインを賞味出来た可能性がある。ドイツレクイエム初演成功とハンガリア舞曲のブレークで少しは金回りが良くなっていたハズだ。
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