立て続け
1853年9月30日ブラームスによるシューマン邸訪問は音楽史上のエポックになっている。このときブラームスはヨアヒムの紹介状を携えていたこともよく知られている。ブラームスよりたった2歳年長なだけのヨアヒムは既に相当顔が広かったということだが、シューマン夫妻との交流が始まったのは、そう古い話ではない。
1853年その年の低地ライン音楽祭に、シューマンとヨアヒムが出演して以来の付き合いらしい。シューマンはニ短調交響曲を指揮した一方、ヨアヒムはベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏した。ヨアヒムのこのときの演奏は圧倒的な成功で、シューマン夫妻との親密な交流のキッカケになったという。
そしてヨアヒムがデュッセルドルフのシューマン邸を初めて訪ねたのは8月28日である。ブラームスによる訪問のほぼ1ヶ月前だ。当時の夫妻の日記にはヨアヒムを賞賛する記述が見られる。ブラームスの出現と同じ扱いを受けているが、ブラームスがしばらく滞在したのに比べ、ヨアヒムの滞在は3日だった。
ロベルトはヨアヒムについて音楽誌に寄稿などしていない。先のコンチェルトのブレークで22歳のヨアヒムは既に世の中に知られていたから、スクープ性は低かったと思われる。
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