ブラームスの悪評
欧州楽壇を2分した論争の片方の当事者だから、反対派からの攻撃は凄まじかった。作品批判のレベルにとどまっていないものも散見されたという。逆に申せば支持者からは賛美されていた。その手の論評は批判にしろ賛美にしろ、誇張と省略を縦横に駆使した代物だ。
私が今日問題にしたいのは、支持者からの悪評だ。音楽之友社刊行全3巻に及ぶ「ブラームス回想録集」は、ブラームスの親しい知人たちの証言の集大成だ。先ほどの基準で申せば賛美者たちの証言だ。だから大抵は好意的な表現になっている。ところが概ね好意的なニュアンスの中で、言葉を選びながらブラームスの短所に言及している場合がある。何人かの友人がブラームスのキャラを要約している中に遠慮がちに現れる。
- 感じたことをズケズケ言う。短所とばかりとは言えぬが、傷つけられた人から見れば短所だ。頭の回転が速いから、図星を突かれてしまうのだ。
- 不運な同業者に対する配慮のない発言。上記と根は一緒。
- 一部の女性に対する傲慢な態度。というよりクララやクララの娘たち、あるいはリーズルなどは例外かもしれぬ。多くの女性はあられもないジョークの対象となった。
- いたずら好き。多くは他愛のないものだったが、希に深刻な結果をもたらすこともあった。
- 皮肉で辛らつな言動。時にはクララでさえ標的にされたという一方で、クララを悪く言う奴には容赦しなかったとも言う。
- 打ち解けていないものに対するとりつく島のない態度。
などなどだ。これらを指摘した友人たちは、有名人としての重圧のためとか、芸術家の特権として仕方がないと擁護することも忘れていない。ブラームスの実態に迫ろうと欲した場合、ブラームスの賛美者たちから発せられる歯の浮くようなお世辞よりは、この手の愛ある悪評の方がずっと役に立つ。
こんなブログを書いている私が、初めてまとまって言及するブラームスの悪評だ。読者が誤解することはあるまいと期待する。
これらを埋め合わせてお釣りの来る長所、そして何よりその作品がある。
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