弾き分ける決意
ブラームスは、数少ないピアノの弟子に日頃「ピアニストは心で感じたことを音で表現出来なければならない」と教えていたという。クララ・シューマンとはこの点で一致していたらしい。そうは言ってもテクニックはあくまでも音楽に従属する位置づけを超えない。
つまり、ブラームスは心で感じたことをピアノで表現出来たということになる。同時にそれを実現出来ると信じていたことになる。ブラームスが楽譜上に記した夥しい数の音楽用語は、弾き分けられると考えていたと推定出来る。自分が弾き分ける自信があるからこそ、演奏者にもそれを要求していたに違いないのだ。少なくともピアノ演奏に関しては自分が出来もせんことを要求するほど、傲慢ではないと思う。
たとえば「sf」「rf」のように、一般の音楽辞典では同義と解されている用語でも、書き分けられている以上、実際には区別していたと解さねばならない。そう信じることが、実は「ブラームスの辞書」の前提になっている。
だからどこの馬の骨ともわからぬ校訂者が、勝手にアスタリスクも無く用語を追加してもらっては困るのだ。
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