令和百人一首14
【027】藤原道長
この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることも無しと思へば
【028】九条良経
春の田に心を作る民も皆降り立ちてのみ世をぞ営む
【コメント】道長は平安中期の摂関政治全盛時の権力者。上皇、天皇、皇太子の妃が全員彼の娘というありさま。本作は娘威子が後一条天皇の后になった日に詠んだと伝えられる。片や九条良経は鎌倉時代の人。何故つがいにするかというと、二人とも従一位太政大臣である。従一位は生前に登り得る最高位。「位人臣を極める」状態だ。加えて二人とも「世」をキーワードにしている。おまけに係助詞「ぞ」を要所に配置する。道長のお歌は超有名。中学の教科書に載っていたはずだ。「もののあわれ」主流の和歌業界にあって異端中の異端だ。侘しいこと憂きことを詠んでなんぼの和歌なのにあからさまな得意顔が目に浮かぶ。
良経のお歌は「撫民」の歌。支配者が民を思いやるという形式である。天皇がよく詠ずるのを見かけるが、位人臣を極めた彼が歌うとそれなりの説得力がついてしまう。「春の田に心を作る」とはなかなか言い出せぬ。民が田に降りてくれてこそ世の中が成り立っているという着眼に加え、その板に付きっぷりも只事ではない印象。この人の作品の中から1首という趣旨で選んだら、本作を選ぶ人は滅多にいないと思う。私ならではだ。新古今和歌集収載の歌ではないが、どうしてどうしてご本人は新古今和歌集では序を執筆する一方、歌集先頭に据えられたVIPである。小倉では「後京極摂政前太政大臣」となっていてわかりにくい。38歳の若さで就寝中に急死した。おそらく源実朝が最も参考にした歌人である。さしずめ和歌のメンデルスゾーンだ。
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