歌合せ
決められた題に基づいて歌を詠みあう催し。平安時代以降、宮廷を中心に盛んに開催された。東西でも紅白でもなく左右に分かれて行う。最盛期には千五百番歌合せなどという大規模なものまで現れた。歌合せの主催者はそれなりにお金持ちでなければならず、有力貴族のみならず天皇主催まであったという。
日常、ありとあらゆる場面で歌を詠むことが当たり前だった時代、宮廷の貴族たちは、今で申す公務員ながら、歌の能力は出世を左右した。歌を詠むことはパソコンをいじることと同等の必須スキルであった。歌合わせは歌力向上の場であり、アピールの場だった。概ね1か月前に開催が告示されて、左右それぞれにコーディネーターというべき「方人」(かたうど)が据えられる。大抵は歌に明るい高位者が務める。あらかじめ題が決められて、各々にこれと思う歌人を招聘して歌を詠む。左右は同格ではなく、左を社会的身分上位が占めるしきたりだった。歌合わせに出ることを出詠という。出詠だけでそこそこの報酬があるし、勝てばまたボーナスも出た。天皇や有力貴族などの目に留まれば出世のキッカケにもなった。何よりも歌合せは記録に残されるから、以降の勅撰和歌集に入集させてもらう可能性が生じる。
左右の勝敗を判定するレフリー役を「判者」(はんざ)と言った。この役目も当代一級の歌人が務める。判定と判定理由「判詞」書く。引き分けもあった。「持」という。階級上位の左優位の中での引き分けは右にとって勝ちに等しい評価だったという。
当日、会場は華麗に装飾され、調度品も一級品がそろう。左右両陣営にそれぞれ「講師」(こうじ)という読み手が置かれる。もちろん美声の持ち主である。
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