贈られた
源実朝をお祀りした御首塚のとなりに、東田原ふるさと公園がある。売店で新鮮な野菜が売られている。何気なしに立ち寄ったところ、梅の鉢植えが目についた。太い幹につぼみがたわわだ。2500円。魅入られたように買い求めた。高いのか安いのかは関係ない。文字通り吸い寄せられた。実朝は何かと梅に関係がある。
君ならで誰にか見せむ我が宿の軒端に匂ふ梅の初花
まずは、こちら。実朝の側近だった塩屋朝業に贈った歌。庭の梅が初めて咲いた日に枝を添えて届けさせたという。「あなたにこそ見てもらいたい」と詠む。これは紀友則の「君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る」の本歌取りだ。価値のわかる人にこそ見せたいの気持ちを濃厚に含む。受け手がこの本歌取りを理解することが前提のプレゼントに決まっている。贈られた朝業は「うれしさも匂いも袖にあまりけり我がため折れる梅の初花」と返す。政治の実権はもっぱら北条氏に握られ云々と語られがちだが、かれこれ14年間も将軍の座にあったのだから、忠誠を尽くす家臣が居ても不思議はない。朝業は実朝の死をもって出家したという。
実朝の屋敷の軒近きその梅はよほど大切なのだろう。
出で去なば主無き宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな
吾妻鏡に載せられた源実朝の辞世だ。菅原道真の名高いお歌「東風吹かば匂ひ起こせよ梅の花主無しとて春な忘れそ」の本歌取りかとも思える。ひとかどの武人ともなると、いつ落命してもいいように、常に辞世を持ち歩いていたかとも伝わる。だから、実朝の御首塚のほとりで、梅の鉢植えを見たとき心が揺れた。実朝からの強烈なメッセージと思えた。この鉢植えは私に買われるためにここにいたと思った。
実朝のお参りに来たという事情を話すとお店の人は、車で持ち帰れるようにと有り合わせのダンボールに新聞紙を丸めて並べ、鉢が動かぬように固定してくれた。地元の人はここに実朝の御首が埋葬されたことをまったく疑っておらず、私の訪問を心から喜んでくれている感じがした。私はといえば、この梅をトランクになど押し込めるはずもなく、段ボールごと後部座席のシートベルトで固定して持ち帰った。メーターのディスプレイには後部座席に人が乗っているマークが点灯した。そうだ。その通り。実朝に決まっている。
源実朝から私への還暦のお祝いだと解さねばならぬ。
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