令和百人一首23
【045】後鳥羽院
我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け
【046】後水尾院
隠岐の海の荒き波風静かにて都の南宮造りせむ
【コメント】歌番号044の私は、045後鳥羽院とページの裏表にあたる。043実朝と見開きの位置、後鳥羽院と背中合わせになれて幸せだ。後鳥羽院は新古今和歌集の編纂を命じた上に実質上撰者だった。歌力、審美眼、歴史観、人脈どれも第一級のうえ、事実上源実朝の名付け親。だから和歌のシューマン。本作、歌に横溢する凛とした風情が帝王の覇気をうかがわせる。この歌のおかげで、「隠岐の海」といえば「波風が荒いもの」という常識が出来上がっていた。それが歌枕というものだ。450年隔てた後水尾院の脳裏にそれが無ければ絶対に詠めない歌。江戸時代の天皇で、昭和天皇に抜かれるまで歴代最長寿の天皇だった。字面としての「南宮」とは内裏の最重要設備・紫宸殿のことだ。しかしその「南宮」が第4句と結句に分断されているおかげで「みやこのみなみ」「みやつくりせむ」と訓ずるほかはないのだが、しっかりと紫宸殿を指していよう。隠岐の海の実景かどうかよりも、「波風静か」ということが大切。「波風静か」は「世の中の平穏」に通じるからだ。とはいえ何よりも何よりも「後鳥羽院大好き」の表明にほかならぬ。下手な現代語訳なんぞ振り回すのは愚の骨頂と心せよ。
「隠岐の海」歌合せ。
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